2022年5月13日 手洗いうがい

本を整理していたら日が暮れていた。部屋は数畳しかないのに時間がものすごくかかる。狭い部屋に持ち物を詰め込まないといけないのって難しい。読みたい本を読みたい。ピダハンの本も植本一子の日記も知覚の現象学小さなお茶会小さな恋のものがたりも、まだ読んでないROCKIN' ON JAPANとかB-PASSも読みたい。苺ましまろも最後まで読んでないんだった。コジコジのファンブックも読んでる途中だ…世界は広いな…

初めてウォッチパーティーに参加した。「コンテイジョン」という映画観た。未知のウイルスによる感染症が広がっていく物語。たくさんの人が出てきて、この人誰だっけ…と思う瞬間が何度もあった。たくさん人が死んでいった。わからなさのなか、なんとかするために頑張る医療関係者と不安でいる人々とかこの2年で何度も感じた心当たりがいくつもあった。この物語の頃(映画が何日まで進んだか忘れちゃったけど最初の数ヶ月)は、不安のなかにも「数ヶ月すれば終わるだろうな」と思える余裕があったのが懐かしかった。ワクチンがすべてではないにしても、人との接触を減らす以外対策の取りようがないとわかっているときに往復したスーパーと自分の部屋のことを思い出していた。まだ懐かしく思うには早すぎるかもしれないが、この流れあったな〜と思いながら見てる時間も長かった。「ウイルスにはこれが効く!」→店に人が殺到!の流れは何度もドラッグストアで見た。厳密には品切れになっている棚しか見ていないけど…確か店の裏口に、紙類はわからないように入荷したい旨が書かれてすらいた。(写真を撮った記憶があるけど見当たらなかった)

急に頭皮が切り開かれて、脳底を見るシーンが衝撃だった。死んだそうな人の顔がアップになっているなーと見ていたら頭の皮がベロンと剥かれて、その説明のなさに驚いた。ちょっと怖かった…最後のシーンでぐるりと映画が一周した。たくさんの人に否応なく関わる問題で、ワクチンがあっという間に完成して流通した以外の問題はあちこちで山積みのまま終わったから、どこにいても続く日々のつらさを想像した。経済とかどうなっていくんだろう。

映画見てる間思ってたことの大半は「マスクして〜」「離れて〜」「なんでマスク外すの!」だった。手洗いうがい マスク 人との距離を置くの、それぞれ引き続きちゃんとやらなきゃなという気にもなった。冬や春は付け慣れてるからいいけど夏になるとマスクはキツい。マスクしなきゃいけない夏を3度も過ごすことになるとは思わなかった。スペインかぜみたいに3年で収束してくれ……と思うばかり。

次は家にあるCDを整理しなきゃな。何を持ってるのか把握するだけでもしなきゃいけない。私って何枚CDを持ってるんですか?2010年代前半に音楽を好きだった人の棚になってる気がする。タワレコはどんどん閉店していくし、オンラインですらCDはほとんど買わなくなった。隠しトラックのために買ったりすることしかなくなっちゃった。いちばん最近でバンプのなないろをライブの先行抽選のために買った。初回盤はライブDVD/BDが付いていることもあって、シングルなのにアルバムみたいな値段だった。シングルって1000円とか初回盤でも1800円とかで買えなかったっけ?倍くらいの値段して、かなりびっくりした。通常盤は1200円だから映像分の値段なんだろうけどシングルを買うぞと思って2500円とか3000円出すの抵抗あった。初回盤1200円もするのか…学生だったらApple Musicが2ヶ月は使えるな…とか考えちゃってよくない。ライブのチケットも普通に5桁するし、お金がないな…まだ持ってないCDを隠しトラックや隠し映像のために買い集めたい気持ちあるけど、こういうこと考えてるとしぼんでいく。コナミコマンド入れなきゃ見られない隠し映像とかあって面白い。通常盤と初回盤で隠しが違ったりするやつとか、隠し映像はあるけど隠しトラックはないやつとライブDVD/BDを中心に集められていないから、これからも棚に増える予定があることも思い出しつつ整理をしようと思います。たぶんかなり長い道のりになる。いいアプリとかがなければ、自分でスプレッドシートとか作るしかないかもしれない。自分の持ち物を検索できるようにしたい。いいのあったら教えてください。

2022年5月4日 火を見て燃え殻を見る

たきびをした。童謡で「たきび」とか「たき火」の表記に幼い頃から慣れ親しんだせいか「焚火」とか「焚き火」の表記に未だに違和感がある。

「焚」←この字って焚書坑儒の「焚」だなーと思っちゃって、怖いからあまり使いたくない。でも燃えている火の中に書を入れたら燃えて失くなってしまうんだ。少女終末旅行見たときも、チトが大事に残していた本(芥川龍之介の『河童』)をユーリがその大事さに気付かないまま燃やして暖を取ろうとするシーンにつらくなった。世界から失われる怖さを、あの作品内ではより強く感じた。

火には潔さと怖さを感じる。燃えて失くなる潔さのなかに心地よさがあるように感じることもあるけれど、常に怖さのほうが強くある。火は怖い。燃えて灰になっていく炭や木や草葉を見ながら、火には燃えて失くならせる力があるのだと実感する。自分の部屋が火事で燃えてしまうことへの恐怖も強い。紙でしか持っていないものは、燃えてしまったら自分の手元から消えてしまうし世界からそれが1つ消えてしまう。それがすごく怖い。間近で火を見ていたら、怖さを強く感じられてよかった。ときどき感じなければならない種類の恐怖だと思う。火の怖さが自分のなかに焼き付いた感覚があった。

火の怖さとは別に、火の眩しさも感じた。たきびは眩しくて、目に負担がかかる。何ヶ月も前に、家の中でロウソクを燃やしてみたときにも目が疲れてしまった。揺れる炎に癒されるやつってどうやったらできるんだろう…画面越しで見ると目への負荷は減るかもしれないけど、こちらに燃えうつる心配がないせいか、燃やしてる実感は得にくい。匂いもしないし。眩しさをあまり感じずに火への畏怖と心地よさを同時に感じられる手段があるといいな。恐らく自分は眩しさを感じやすいから、他の人たちはそんなことなく既に心地よさを感じているのかもしれない。他人の主観の話はわからない。

いま感じている乗り物酔いをしたみたいな気分の悪さは、恐らく火を見ていたからだと思う。揺れている眩しいものを見続けたらそらそうなる。もう画面見ながら文字打つのが少しキツいので終わりにします。

2022年4月26日 カエルは鳴き止まないっ

風が強く吹いてもカエルは鳴き止まない。夜になると、轟音というかんじで音に包まれる。オーディオでこれできたらいいだろうなーって思う。いつか、1回でいいからMy Bloody Valentineのライブに行ってみたいのだけどこんなかんじで包まれたりするのかな。想像するだけで気持ちいいな。シューゲイザーの気持ちいいライブ、2年くらい前に行ったのが最後だけど音を浴びるたのしさがすごくあってよかった。シューゲイザーを意識していたという初期のスピッツを見てみたかった。ニノウデの世界をいろんな時期のマサムネさんが歌ったらどうなるんだろうと思って調べてみたら、1993年までときどきセトリに入っていたけどしばらく姿を消して、2009年にフェスでやった情報を最後に途絶えていた。「しがみついていた〜」の歌い方がどう変化していったんだろう、と気になる。手元にある海とピンクのライブ音源も確かとげまるツアーで2010年くらいだったし、最近はファーストアルバムの曲が聴けるライブはめったにないのかも。ほかの曲はわからないけど。タンポポは何回も何回も聴きたくなるよさ…死神の岬へに繋がるのもいいし、夏の魔物とかヒバリのこころのかっこよさもいいな〜ファーストアルバムも好きになった。この1週間ちょっとでタンポポがいちばん好きなスピッツ曲になったかもしれない。

スピッツは2017年のJAPAN JAMで見たことあるだけで、まだワンマンとかは行ったことない。最新を追いかけていないとなかなかワンマンライブ行っていい気持ちになれないことが多い…受付で「お目当てのバンドは?」と聞かれないのに。むしろ目当てのバンドをよく知らない後ろめたさここにもあるせいかもしれない。スピッツはとげまるくらいまでしかアルバム単位で聴けていないから干支がひと回りするくらい知らないスピッツがいる(でもさらさらとか野生のポルカとか醒めないとか優しいあの子とか大好物は聴いてる)。JAPAN JAMでは砂まみれになりながら西日に照らされて見たような気がする。8823がかっこよかったけど、チェリーで撮影し始める人たちがたくさんいて嫌だった。ほかの曲は撮らないのにチェリーは撮るのがフェスっぽかった。つまみ食いというかいいとこどりみたいな聴き方してるみたいな後ろめたさあるまま聴く感じ。堂々とやれる人たちすごいとは思うけど嫌だった…そのあと同じステージに登場したレキシに涙がキラリ☆がいじられていて、ご本人登場か!?みたいになってたのも含めてたのしかった。いつかワンマンとかツーマンとかのライブ行ってみたい。レキシのライブもいつか行きたいな。でもどっちもチケット取るの大変だろうな…

今週のロク漫(スピッツ曲で漫遊記 思い出エピソード添え パート2)聴いて、いまさらではあるけどチェリーっていい曲だ〜と改めて思った。インディゴ地平線をまだちゃんと聴いたことがないからチェリーって普段なかなか聴かない。聴くとしても8cmのシングルのほう…チェリーの「ちゅっちゅっちゅっちゅっ〜」のところが大好きだと思っていたら、コーラスワーク全体的に好きだった!あの曲がいっぱい売れてると思うとうれしい…サビのボーカルにディレイかかってるかんじとか、ベースの動きとかたのしくて素敵だな〜吹き抜ける風みたいで気持ちいい!スピッツのシングル曲って心地よい風みたいな曲たくさんある気がする。春の歌とかルキンフォーとか若葉とかつぐみとか大好物とか。スピッツもっとたくさん聴きたいな。ゆっくりとたくさん聴けたらいいな〜

【聴いてるアルバム】(「名前をつけてやる」と「醒めない」も聴いたけどこの2枚はまだちゃんと聴けてないかんじが強いのと「花鳥風月」は途中までを繰り返し聴くところから進んでない 「おるたな」も中途半端…)

  • スピッツ (1991)
  • ハチミツ (1995)
  • ハヤブサ (2000)
  • 三日月ロック (2002)
  • スーベニア (2005)
  • さざなみCD (2007)
  • とげまる (2010)

今日はスープをたくさん飲んだ。ちゃんと数えてないけど6〜7杯飲んだような気がする。おいしかったな〜

こんにゃくを食べた。こんにゃくってかんたんにおいしくできて山ほど食べちゃう…好きな食べものこんにゃくかもしれないけど、「好きな食べもの何?」と聞かれたときには思い出せていないな…

2022年4月23日 もういない人

成田さんに内海桂子のツイートを残していいよと言われた。
成田さんに内海桂子のツイートを残していいよと言われた?言われた。間接的ではあるけどすごいことだ。こんなことあるんだ。成田さんというのは内海桂子さんの旦那さんです。成田さんが生きていてよかった。誰の意向も確認できなかったら、ずっと内向きにもやもやと抱えるところだった。これは責任もって内海桂子師匠のツイートを残さなくちゃいけない。とりあえず見やすく残したい。少しずつ進めます。もういない内海桂子の言葉を残す役目が生まれた。重大だ。

ミロの展示やってるんじゃなかったっけ、と思って調べたら先週で終わっていた。先週ちょうど渋谷にいたのに。互いに素(リックェさんと店長さんのラジオのイベント)が始まる前に渋谷うろうろして「Bunkamuraってこのへんなんだ~、へ~」と思っていたのに!
かつての表記はジョアン・ミロだったけど、近年はジュアン・ミロと表記するらしい。そうなのか~ 行けなかったけど……
ミロ展―日本を夢みて | Bunkamura

今日はこれを見に行った。
植本一子|あの日のことおぼえてる? | つくりかけラボ | 千葉市美術館
写真を撮ったりアンケートに答えたり、来場者が参加する企画展だけど2回目だったから他の来場者が残していったものを見るだけにした。1度目は初日の夕方だったこともあり、写真もアンケートも随分増えていた。

写真だけ先に見ていたら気になるものがあった。おばあさんが穏やかな表情で写真の右端に1人でイスに座っているだけの写真で、左側に空けられた余白が気になった。この企画展では、アンケートに途中まで答えて→写真を撮って→アンケートを完成させる という流れになっている。1人で来た人は「思い出す誰かとのあの日の思い出」、何人かで来た人は「一緒に来た人とのあの日の思い出」を書くことになっている。このおばあさんは1人で写っていたから恐らく1人で来たのだろう。アンケートを書きながら思い出した誰かと一緒に写るような気持ちだったのだろうか。そうだったとしても、もう少し中央に寄ってもよかった気がする。
写真だけ見ていろいろと考えながらアンケートのほうも見た。親子で来た人、友達と来た人、恋人や配偶者と来た人、1人で来た人など来場者はさまざまだった。おばあさんは40年以上前、出産時に亡くした息子のことを書いていた。余白には息子がいたのかな。右端に座っていたのは、子どもがいたかもしれない左側の余白を大きくするためだったのかもしれない。そこには亡くした第一子のことしか書かれていないからそれ以外のことは何もわからないのにすごく印象に残った。数十年前の「あの日」を思い出しているから、あの日から現在までに経た時間の長さが長かったこともあり重かった。でも必要な重さだったと思う。自分がこれをどう受け止めているかわからないのにすぐ文字にしている。おばあさんの写真をもう一度見ていたら、頭にはキャラバン(BUMP OF CHICKEN)が流れた。連想するとしたら「随分先に行ってしまった 光の下のキャラバン」「トンネルに残響」あたりかな。この企画展は7月まで続くのでまたしばらく経ったら行こうと思う。前回は会場で靴を脱ぐことを知らずに裸足で行って恥ずかしい思いをしたので今回は靴下を履いていけた。ちょっとだけ前進。次も靴下を履いていくことを忘れないようにするぞ。次行くときは靴下のことなんか忘れてるような季節かもしれないから忘れないようにするのがきっと難しい。

ひと通り見て気が済んだあと、植本さんを知るきっかけになったSHABELにサインしてもらった。大事な雑誌がもっと大事になった。買うときによく確認しなかったから、目次のあたりが少し汚れているのだけどそれでも何回も読み返してる。

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帰りに『ある日突然、目が覚めて』を買った。f:id:eudoftheworld:20220424014536j:image

植本さんの去年の夏の日記らしい。一昨年の日記がよかったからこれも楽しみ。 

2022年4月17日, 18日 互いに素

昨日(4月17日)はフラコトイベント「互いに素(たがいにそ)」に行った。日付(4/17)以外ぜんぜん互いに素じゃなかったけどしばらく残り続けそうな満足感でいっぱいになってる。たのしかったー!

店長・リックェのフラコト『互いに素』 - Official Store

↑ここから配信(有料)のアーカイブ見られる

いままでオンライン参加だったから、初めて現地に行った。そしたらリックェさん店長さん以外にもいろんな人たちがいた。初めて会うフォロワーたち、オモコロのライターなど見たことある人たち……

道玄坂から少し入ったあの辺りは何度か行ったことがあったけどLOFT9は初めてだったので、かなり余裕もって行った。開場1時間前に着いてしまった。互いに素の看板も立っているし、開いているドアから、会場の奥のほうにいるリックェさんと店長さんが見えたので場所が間違っていないことを確認しつつ周辺をうろうろすることにした。

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(LOFT6 hibuya←Sが取れている)

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初めて本物(?)のエビチリを見た。すごい!落書きすることの是非は置いておいても、知っている落書き見つけられてうれしかった。

ハナ⸜🌷︎⸝‍チャン on Twitter: "こういうので「エビチリ」ってことあるんだ。… "

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自販機にさんぴん茶あるのを初めて見た。沖縄県では普通にあったりするのかな。渋谷にはありました。


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自販機のパッケージでは「沖縄限定」と書かれているのに対して、出てきたペットボトルには「沖縄伝統茶」と書かれていた。沖縄以外で販売することを前提としてるなら自販機のほうでも「沖縄伝統茶」のパッケージにすればいいのに。以前から変な自販機(例:見本がぐちゃぐちゃになっている/同じ商品なのに値段が違う)を見つけては写真を撮ったりしていたが、鬼谷さんのCCレモンの記事今この世界には「2種類のCCレモン」が混在している|鬼谷|noteを読んでから、自販機の商品パッケージにより目が向くようになっている気がする。こういう細かい文字の部分に気が付けるようになっているのはたぶんその影響もあると思う。

うろうろしていると坂の下に神泉駅が見えた。遠くまで来てしまったのかもしれない。引き続き知らない道を歩き続けた。もうLOFT9までの戻り方はわからない。しばらく歩き続けていると知ってる道に出た。数年前に渋谷から下北沢まで歩いてみたときに通った道だったので、このまま行くと下北沢まで行ってしまうのかと思って焦りながらマップを見た。地図がうまく読めないから、現在地を何度も見失いながらLOFT9に戻った。まだ開場まで15分以上あった。互いに素を見に来た人たちがいるのかもよくわからない。初めて行った会場だったから、だいたいこのあたりで待つみたいな暗黙の了解もわからず、あわあわしながらまた会場を離れた。渋谷駅からLOFT9へ近道できるような階段を見つけた以外は特に何の発展もなく会場へ戻ると、互いに素を見に来たらしい人がちらほら現れ始めた。よかった…今度は開場数分前くらいに着けるようにしたらいいかもしれない。トークイベントへの参加が初めてだったから、経験値が少なすぎる。まだわからないことだらけだ。お客さんとして来てるライターの方々に声かけるの当たり前みたいになってるけど、大丈夫なのかわからない。嫌だとしても断りにくいんじゃないか…とりあえず、(ある程度行き慣れた)ライブハウスでよくある1ドリンク制と今回みたいな1オーダー制の違いはたぶん理解できたんじゃないかと思う。開場までにかなりどきどきする1日だった。


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イベント後、新宿を経由してイマサに寄った。平べったいスプーンと料理の提供スピードの速さ、あとご飯のそこそこの多さ。

たのしい日だった!

移動中ずっとスピッツスピッツを聴いてる日でもあった。今週のロック大陸漫遊記はスピッツ曲特集で何となく違う番組みたいだった。スペシャル回。来週もスピッツ曲特集やるらしいからたのしみ。最近の自分はスピッツバンプコジコジで大半できている気がする。最近スピッツ(アルバム)初めて聴いたけどすごくよくて、繰り返し繰り返し聴いてる。タンポポを核にしてうねってるイメージがあるアルバム。タンポポをきっかけにアルバムとして聴いた順序の影響もあるかもしれない。

あと内海桂子のアカウント乗っ取りをずっと調べてる。自分がしたことの正しさとか、だんだん拡散される情報とそれに対する感謝とか、まだ見えてこない関係者たちの見解とか…ぜんぜんわからない。価値を残す意義があったのか、という点と誰が残すのかという二点を中心にわからなさが自分のなかで渦巻いている問題……ナイツとか成田さんに消してくださいと言われた場合どうしたらいいのかわからない。ツイートを残したことに対して感謝されたとして、そのプラットフォームはずっと自分のところでいいのか、そもそも自分が残した大元であるTogetterが終了したら消えてしまうものではあるし、どうするのが適切なのかぜんぜん見えてこないままじわじわとただ拡散が続いている。パクツイとかではないが、自分のものが拡散されているわけではないところに感じる違和感がどうしても拭えない。マセキの人に情報だけ確認してもらって、何か公式で内海桂子のツイートログを残してもらえたらいちばんすっきりするのかな。本とか、インターネットでなくてもいい。私が内海桂子のツイートを残した責任はいつまで取り続ければいいですか? 今回の乗っ取りに関する矢印が自分に向かないようにしたい。

今日(4月18日)→肉を食べたり、アイスを食べたり、こんにゃくを食べたりしておいしかった。こんにゃくっていいな。好きな食べ物こんにゃくかもしれない。最後の晩餐の副菜あたりにいてほしいかも。水菜も好き。

‎スピッツの「スピッツ」をApple Musicで

 

2022年4月14日 凍える散歩

愚かな散歩をした。小雨が降るなか、半袖に薄手の上着を着て歩き始めた。途中から雨が強まる時間が増えたが、歩いている道の周辺には住宅や小中学校ばかりで雨宿りもしにくい。ときどきトンネルがあるがそれも少ないうえにトンネルの中は濡れた箇所に冷たく風が吹いて、穏やかな雨宿りにはならない。日が落ち、気温も下がってきてかなり寒い。もっと暖かい格好をしてくればよかったと後悔したが、不幸中の幸いと言うべきか、フードのついている上着だったため頭部は雨から守ることができた。袖が濡れて身体を冷やしてくるから、時間を追うごとにどんどん寒くなった。

【今日の反省点】遠くまで歩く散歩をするときは天気と気温を確認してからにする。寒いとつらいから、なるべく暖かい格好をする。

でも昨日まで暖かかったし、調整に失敗するの仕方ない気もする…いや、仕方なくても寒くないほうがいい!!

ラストワンが加藤智大と秋葉原通り魔事件を(直接的ではないにしろ)踏まえているように聞こえてきた。というかmorning glowとか他のRAYの曲も、事件以降の他のアルバム(COSMONAUT以降)の曲も加藤智大に重ねて聞ける曲を探したらいくつもあるんじゃないかと思えてきた。発端はユグドラシルのギルドだし、探せば事件以前だって歌ってきたことだとわかるかもしれない。多くの被害者を出した事件の犯人に自分の作った曲を聞かれていた事実は、きっと藤原基央の耳に届いていただろうしそれに影響される部分は無意識的だとしてもあると思う。ラストワンもmorning glowも部分的には加藤(や類する人たち)に言い聞かせるみたいにも聞こえる。

ラストワンの「笑ってもらえなくてもいい 笑えるようになれたらいい 嫌いな自分と一緒に 世界まで嫌わないように」「大声で泣き出したいよ 慣れてなくてうまく出来ないよ 嫌いな世界と一緒に 自分まで嫌わないように」だったり、自分を認めて変わることが歌われているのと、morning glowの「あなたを変えようとしたあなたは ずっと前から変わらない」とかButterflyの「明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり」とかディアマンの「何にだってなれない 何を着ようと中身自分自身 読み馴れたシナリオの その作者と同じ人」で歌われているみたいな変われなさ、変わっても残り続ける部分がどちらも混然とある。これはSmall worldの「変われないのに変わりたいままだから苦しくて」が向いている方向にも近いかもしれない。

加藤が何を思ってギルドを書き込んだのかわからないけれど、それに対して生命すべてを考えに入れつつも「こうなれたらいい」「こうしていくんだよ」と誰に宛てたともとれるような言い聞かせるようにも聞こえる曲たちは加藤にも重ねて聞ける気がした話でした。まとまってないけどおしまい。

2008年6月8日はホームシップ衛生の大阪公演(5月31日)と沖縄公演(7月5日)の間だったのか。2008年のリリースはpresent from youはあったけど、あれは既発曲+再録だし、発売日が2008年6月18日だから事件以前に制作が終わっていないとおかしいから事件の影響は考えにくい。それから2009年11月末のR.I.P./Merry Christmasまでリリースもツアーもなかった(RIJFは出たらしい)の、程度はわからないけど事件の影響もあったのかな。2008年の秋くらいに書いたというHAPPY、66号線、セントエルモの火とか20代最後にかけて書かれた透明飛行船、魔法の料理とか、30歳になってから書いたモーターサイクルとかキャラバンとかそのあたりの曲とかに影響してたりするかわからないけど当時はツアーと並行して曲作りすることがなかったらしいことも踏まえても、2008年、2009年あたりのスランプには多少影響していてもおかしくない気がしてきた。いま見ている情報だけからはそう見えるというだけだから、そういうこともあるかもしれないというだけだけど。

あと最近はダンデライオンタンポポとライオンの生死の非対称性のこととか考えてる。

Ever lasting lie

Ever lasting lie

Ever lasting lieって原曲もアコースティックバージョンもソロのところが好き。ライブでは目一杯やってほしい。ソロが長くなって12分くらいの曲になっていたらいいな。いつかライブで聴いてみたい。

Ever Lasting Lie - YouTube

Ever Lasting Lie (Acoustic Version) - YouTube

2022年4月13日 スピッツをたくさん聴いた日

4月13日が始まってすぐ、バンプ公式からツイートされた動画を見た。どうしたらいいかわからなくなった。弾き語りにしてもギターがヘッドからネックくらいまでしか写らないような画角。見慣れぬエピフォンのアコギ(普段ライブではギブソンのアコギを使ってる)。演奏してる場所がたぶんスタジオとかじゃなく普通の部屋みたいなのも初めてだ。バンプはちゃま以外個人のアカウントがないから、年に1回誕生日かその翌日あたりにちゃまのアカウントで「ありがとう!」と返事を載せていたくらいだったのに…(ちゃま活動休止以降はバンプ公式がお祝いしてる)。今回も誕生日のお祝いありがとう、から始まっているけれどすごすぎる。弾き語り動画をあげている人たちはたくさんいるけれど、藤くんがこれをしている意味を考えるとすごいなあ。すごい。コロナ禍の始まりくらいに、うたつなぎとか弾き語りの動画をバトン形式で繋いでいくお誘いを受けたけどできなかった自分自身のフットワークの重さの話をしていた人が、こんな…プライベートのなかにあるみたいな弾き語り動画を。「ちょっと歌ってみたよ」???

同じ時代に生きているのがうれしい。見せてくれてありがとうございました。交感神経がぴーんと優位になって、胸がたくさんいっぱいになった。

今日はスピッツをたくさん聴いた。ここしばらくとげまるとさざなみCDをよく聴いている。数日前、渚(8cm)とさわって・変わってを買った。8cmCDっていい。短冊みたいな形もいいし、ちょっと小さいのがかわいくて持っていたくなる。あと最近初めて花鳥風月聴いてお気に入りになった旅人も入ってるのもうれしい!

さわって・変わってもガーベラも既に持っている三日月ロックで聴けるけれど、放浪カモメはどこまでものライブ音源が聴きたくて買った。色色衣はまだ聴いていないので稲穂も初めて聴くことになった。

【感想】

放浪カモメはどこまでも(Live)→なんかシャカシャカしてる!イヤホンのせいかも。また今度別の音響で聴いてみたい。イントロから溢れ出てる「これからはじまるぞ!」感が好き。

稲穂→「夕焼けが僕らを染めていた 夕焼けが世界を染めていた」の部分の景色の広がりが好きだった。僕らを染めていた狭い夕焼けが、世界を染める広い夕焼けに見えるようになる広がり方が気持ちよかった。視点がグンと上に上がるかんじ。

【今日聴きたくなったアルバム】

【今日好きだった曲】

えにし→「そうなんだ」のところ好き。「そうなんだ」の曲なんだっけ、と思い出しながらこの曲を探した。

若葉→「いつもとちがう マジメな君の「怖い」ってつぶやきが解んなかった」とか、わかることとわからないこと、失くしたものと失くしたくないものが歌われていて好きだ。聞こえてるけど聞こえていない歌詞たくさんある。

若葉で歌われている「暖めるための 火を絶やさないように 大事なものまで燃やすところだった」は、群青の「語れるほどの夢とか 小さくなった誇りさえ 失くしてしまうとこだった」と近いことが歌われている気がする。失う前に気付けたことというか。こういうことを歌ってる曲が他にもあったりするのかな。

君は太陽→「そうかそうか」のとこ好き。僕にとって君が太陽であるというモチーフはバンプ太陽新世界でも描かれている。君は太陽の太陽も太陽の太陽も新世界の太陽も僕を照らしてくれる存在として描かれているけど、それぞれどこからどのくらいの強さで照らしているかが違っているような気がする。光の強さでいうと、たぶん太陽の太陽が1番弱い。弱い光でも太陽みたいに感じる僕の歌だと思う。君は太陽の太陽と新世界の太陽はどっちもすごく明るい気がする。君は太陽の太陽が前から差してくる僕を照らす光で、新世界の太陽は上のほうから世界を照らす光かも。だからこそ「新世界」というタイトルなのかもしれない。僕と君の話なのに世界ごと作り替わるようなタイトルなのは、ここでいう「僕」が単に一人称単数じゃなくて一人称複数を指してる可能性もあるかもしれない!僕としては一人称単数だけど、そこに当てはまりうる代入可能な僕は複数いるイメージ。上からやってくる光はぐるぐる回る地球のどこだって照らしているから、太陽は世界を照らしているみたいな意味合いがあったりするのかも。

(太陽っていっぱい打ちすぎて大腸に見えてきた。)

トビウオ→いいイントロ!

放浪カモメはどこまでも→イントロが好き!

今日はかき鳴らすみたいなギターのイントロが好きな日だった。

暑さに我慢ならなかったから髪を切った。髪を切る前に、明日から寒くなるらしいという情報は得ていたけど切った。さっぱりしたけど、きっと明日は頭が寒いんだろうな…ことわざになりそうな愚かさだ。