2022年8月24日 ウルトラマンメビウス

自分にしては遠くまで運転してへとへとになった。でも奇声をあげたりしなくなったのは成長かもしれない。前は20kmだか25kmだか超えたあたりでかなり嫌気がさして、運転したくない!!と抵抗していたからマシになったと思う。この調子で前橋に再訪する目標達成したい。

CHABAAのポメロとぶどうのジュースおいしかった。

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TAROMANの最終話を見た。主題歌に「心地よくあるな」とあるし、心地よく見られる作品ではないのだけど短いし何となく見てしまった。

タロウマンからウルトラマンタロウを連想し、ぎりぎり思い出せない主題歌を調べていたら、ウルトラマンのサントラが結構サブスクにあった。ウルトラマンの歌もセブンの歌もタロウの歌も知ってるけどなんで知ったのか思い出せないなーと思いながら久しぶりに聞いた。

自分が唯一リアルタイムで見ていたのはウルトラマンメビウスくらいだったけれど当時の記憶はそこまでなかった。メビウスウルトラマンの中では弱く、中の人(?)が高熱を出してるシーンがあったことだったり、最初は敵だったウルトラマンヒカリが味方になったことくらいしか覚えていなかった。主題歌も忘れてるかもしれないと思って再生した。

知ってる!!!これウルトラマンメビウスだ!?!?

どれが1番の歌詞だとかは忘れていたけれど、ほぼ歌えるくらい覚えていた。セブンやタロウの歌よりも鮮明に。聞いている間に、確か最後に戦っていたすごいでかい敵(ウルトラマンの何十倍もの大きさがあって、足みたいなのがたくさん生えている)とのシーンを思い出した。メビウス(とヒカリが合体した形体)だけでは倒せそうになかったのでお兄さん達がやってきたけれど、それでも苦戦していた気がする。最後になって、もうみんなぎりぎりまで戦ったあとに、「後は任せた」と光になってメビウス(とヒカリ)と合体して、ぎりぎりなんとか勝っていた。主題歌を聞いただけで物語の最後まで駆け抜けたような気分になった。普段ぜんぜん思い出していなかったのが不思議なくらい鮮明だった。なんとなく2008年に見たような記憶だったのだけど、放送は2006〜2007年だったらしい。DVDを借りてきて少しずつ見たような記憶もあるから、少し遅れて見たのかも。普段なかなかない感動があって、なんかもう「すごい…」しか言えなくなった。いまからだと好きにならなそうな曲なのがなおさら自分以外と共有するのが難しそうな感動ではあるのだけど、長く開けていなかったせいで存在すら忘れていた記憶の蓋が開く瞬間の気持ちよさだった。これからどれだけ経験できるかわからないけど自分にとってなかなかない感覚だった。感動しながら頭の中が「!?」でいっぱいになって混乱しながら水をたくさん飲んだ。

※ぜんぶ当時の記憶のまま書いているので違うかも

ウルトラマンメビウス

ウルトラマンメビウス

これ再生した瞬間ほんとにすごかった。

マケット怪獣作戦

マケット怪獣作戦

サントラを再生していたら、マケット怪獣作戦の前半がかなり仔象の行進(↓これ)だった。

いま軍歌がなんとなく好きで、それをきっかけにガルパンを好きになったことを考えるとこのあたりから繋がってるのかもしれない。

こんなに思い出せることを忘れていた衝撃。最近はウルトラマンといえばゼアスを見たくらいで、だいぶへらへらした態度でいたのだけどメビウスにこんなに思い出があったとは…思い出せてよかった…

2022年8月22日 野生の仏

この日記に質問箱を設置したら久しぶりに質問が来た。

寝る時間も起きる時間もある程度周期的だけど、何時に寝て何時に起きるまで決まっていないから何も答えていないような回答になった気がする。とりあえず主な睡眠はこの時間帯にとっています。あとは二度寝とか昼寝したりしなかったりいろいろ。

TLに流したくなかったからnullでツイートしたけど、質問者としてはTLに流す or 「nullで返信しました」報告ツイートがあったほうがいいのかな。わからない。また質問箱ででも教えてください。マシュマロとかお題箱とかいろいろあるけどどれがいいかわからずだいぶ前に使っていた質問箱を引っ張り出してきた。マシュマロも一応アカウントを作ったことがあるような気がする。

普段着野仏シリーズ、いいタグだ。まだ使われていないけれどいろんな普段着野仏の写真を見たい。田舎あるあるなのかな。そもそも野仏は人の手が入るような田んぼや草むら、神社が近い場所に多いのかもしれない。

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住宅の多い通り沿いの草むらにあった野仏

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飲食店の目の前にある野仏

カメラロールにあった野仏はこのくらい。野仏は街中にふと現れる神社くらい謎だ。街角図鑑に載ってたかな。あとで見てみようかな。街に突然現れたように感じるものを「野生の〇〇」と呼ぶの好き。これまで見つけてきたものだと、野生の単語帳とか野生のテレビのリモコン(ゴムの部分のみ)とかが面白かった。呼び込み君も野生って呼びたくなるような設置のことがあったり、野生のものを観察するのは楽しくて好き。知らない街を歩きたいけど感染者の数にビビってる。症状の重篤さにかかわらず、感染すること自体が怖い。数が多くあちこちでパンクしてるらしいという情報を目にするたび、対応してもらえない側の人間になることを想像して怖くなる。いつまで大丈夫でいられるのかわからない。

ここ数年、夏が終わる頃になるとバランスが崩れやすいような気がしている。単に月の周期と重なりやすいだけということもあるかもしれないけど、8月末〜9月のはじめに割と不調気味なことが多い。一昨年はビルくんの葬式に参列した直後だったというのも一因としてあるかもしれない。季節性のものだと思うと受け入れてそんなに心配しないでいられるようになる。季節の変わり目に勝てなくていいからせめて負けないようにしておきたい。むしろ勝つのも嫌だから引き分けに持ち込みたい。

2022年8月21日 🚗…

車が苦手だ。いつまでも慣れないまま運転しているし、ただ乗るだけでも他人の運転は怖いしすぐ酔ってしまう。なんで免許なんか取ったんだと何度も後悔している。免許更新しに行ったとき、初心に帰って安全運転を心がけるように言われたけど私の初心はなるべく運転したくない気持ちでいっぱいだったから初心に帰ると運転したくなくなる。いまのところ事故を起こしていないけれど、運転が下手なせいで迷惑をかけている気はする。周りは慣れだと言うから信じて運転しているのに慣れないし、いつまでも初心あたりにいる。ものすごく下手だったのが下手まで成長したような気はするけどそれでも毎回の緊張と疲労がすごい。

「大変さがわかったでしょ?」←わからない

すらすら運転できる人たちにある感覚がまだ欠けているんだろうなー。まだわからない。いつまでもわからないままかもしれない。まだぶつけたことがないのに、どうしたらぶつけないかわかるのかわからない。ぶつかってもよくて柔らかい壁で、どこまでが大丈夫でどこまでいくとぶつかるのか知っておきたい。教習所にあった柔らかいポールだとぶつかる感じはほとんどわからなかったような気がするしそもそもあまり覚えていない。どうしようもなく運転できないなと思ったら返納すればいいか、と思いながら慣れない運転をする。はたしていつまで続くのでしょうか。

2022年8月18日 星野源✌︎

おげんさんといっしょ見た。星野源が選ぶものはハマらないものも多いのだけど、おげんさんは見続けている。この間のサブスク堂もまだ1回目しか見てないけど面白かった。

番組の最後に何の曲やるだろう、と考えてハナ肇クレイジーキャッツの話題出していたしCrazy Crazyとかかなーと思っていたら地獄でなぜ悪いだった。先日まで寝込んでいたことが映える選曲だ。この曲がシングル曲としてリリースされたあたりで星野源は一度倒れている。2012年12月16日夜、化物のレコーディングが終了した直後、くも膜下出血。手術で一命は取り留め、苦しい入院生活を送ったことが『蘇える変態』に書かれている(私はこの本のタイトルのために「蘇える」を辞書登録している)。そんなときテレビからフィルムが流れてきて死ぬわけにはいかないと思ったらしい。

星野源が後遺症もなく生きていてよかったな。そういえば今日ちょうどフィルムの撮影地通ったんだった。フィルム、化物、地獄でなぜ悪いが今日のおげんさんといっしょで掘り起こされるように感じて、終わって振り返りながらびしょびしょに泣いた。星野源が復活してよかった…。

星野源 – 地獄でなぜ悪い (Official Video) - YouTube

地獄でなぜ悪いのこの動画の最後とか、初回限定盤のメニュー画面かどこかに当時の病室が映っている。おげんさんの地獄でなぜ悪いを聞きながら、このピースサインを思い出していた。病み上がりの星野源による地獄でなぜ悪い。いま歌うと同じ地獄で待つ、が違った響きを持ちそうだけどまあいいや。

星野源しか出ない夏フェスが聞きたくなって久しぶりに聞いた。開始1分で緊張により眼鏡が曇る寺坂さんに笑いつつ、ここでも化物、地獄でなぜ悪い。このとき(2016年8月22日)はまだリスナーをチェリーとかピーチとか呼んでいるね。このときのSUNのイントロは、みんなでせーので「べーーーー」と口で音源を再現していたのがよかった。ここでしか聞けないな〜と思って好き。聞き返したら記憶のなかでだいぶ補正されていたけどそれでも面白い。

もしかしたらニセさんの君は薔薇より美しいってこのCD以外に収録されていない?ライブ映像としては円盤化されているけど。どうなんだろう。音の向こうにサングラスが見える。おげんさん始まる前に爪を切っていたのだけど、そういえば爪切り入れてるポーチがニセさんだ。NISE IS REALのピンバッチもついてる。楽しみに待っている人みたいだ。

Friend Shipで終わるのもいつものエンディングが豪華になった感じがしてよかった。当時のツイートは残ってなかったけど、最後まで聞くには27時まで起きていないといけないから仮眠するつもりだったのにうっかり忘れて起きっぱなしなまま開始の25時を迎えたような記憶がある。どこかにこのときに書いたメモ用紙があるような気がしてきた。

あ"ーーーー!!!

ここから先は蘇える変態について書いたのに2回消えたのでもうなしです。後半の闘病記を泣きながら読みました。星野源が生きていてよかったね。最後の著者近影でしょーもないなーと笑いながら本を閉じました。終わり。終わりだ終わり。

今日買ったCD。夢の外へ(初回限定盤)とLOVE TRAIN。

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遠くの図書館行ったけど閉館日だったし、日記2回も消えちゃった。でも夜食べたカレーが美味しかったしおげんさんたのしかったからいいか。

(おわり)

2022年8月13日 海へ行くつもりじゃなかった記念日

初めて海へ行くつもりじゃなかったを最後まで通して聞けた。これまでは最初の数曲聞いたあたりでお腹いっぱいになってしまうのを繰り返していたのだけどついに!

前半でお腹いっぱいになるのは相変わらずだったけど、後半まで聞けた。サンバパレードあたりからアルバムとしての楽しさを感じはじめて、お腹いっぱいだったけどまだいける感覚になった。感覚が更新されたのかまだわからないけど、これからフリッパーズギターのアルバムをすらすら通して聞けるようになったらいいな。何回も聞きたい。今年の再生回数上位100曲はスピッツバンプがほとんど独占していてつまらない。

ベスト盤とか音が重いアルバムはお腹いっぱいになりがち。Colour Me Popを初めて聞いたときもお腹いっぱいになって、何回かに分けて聞いたのを思い出して調べたらベスト盤だった。アルバム曲がほとんどないアルバムも息が詰まる感じがして、苦しくなって途中までしか聞けないことが多い。それとは別に最初のほうの曲が刺さりすぎて次に進めないこともある。私ってアルバム聞くの下手なのかもしれない。

90年代をほとんど生きていないから、いろんな人に教えてもらっている。その人たちに影響を受ける前は、なぜか買ったJITTERIN'JINNのアルバム、親が持っていたスピッツのハチミツやZARDのベスト盤を聞いていた。

4〜5年前に、1975年くらい生まれの人に教えてもらった小島麻由美とか、偶然流れてきた川本真琴とか。それ以外だとスピッツとか広末涼子などをぐちゃぐちゃに記憶していた。そのあと友達にシューゲイザーやメタルを教えてもらって好きになった。いまだにぐちゃぐちゃな記憶のまま90年代を認識している。10年間をひとくくりにするのは無理があるなー。前半と後半は何となくイメージがつくようになってきた気がする。まだ知ってから5年くらいしか経ってないと思うとそんなものかもしれない。

川本真琴にハマったのは春、入ったばかりの寮の明るくて狭い部屋だった。ぼーっとTwitterを見ていたら桜の動画(誰かの無断転載)が流れてきた。どの部分が切り取られていたのかは忘れてしまったけれど、サビの「桜になりたい いっぱい 風のなかで いっぱい ひとりぼっちになる練習してるの」のところが衝撃だった。風に吹かれて飛んでいく桜の花びらがばらばらになっていく様子と卒業する自分たちを重ねた歌詞をすぐ好きになった。私が学校を卒業して割と間もなかったことも影響しているかもしれない。すごく刺さってしまって部屋の床でじたばたしていたような気がする。その後ニトロデイのぺいさんがどっかに1stの写真載せてたのを見て、CDを見つけたいと思った気がする。

1stを買って、繰り返し繰り返し聞いていた。村上春樹の小説の中に出てくる女の子がこういう音楽をやっていたらいいなと思いながら聞いた。このアルバムは10代の女の子に刺さることだけ考えて作られたらしい。策略通り、10代の女の子だった私はばっちり好きになってしまった。でもいつまでも1枚目ばかり聞いている。最初に好きになった桜が入っているアルバムも聞いたけれど、最初ほどの衝撃は感じなかった。そのあとになってオモコロを好きになったら「神様は何も禁止なんかしてない」が頻出していた。オモコロではほとんどネタとして消費されている感じだけど、藤原さんはタイムマシーンを絶賛している。日本語がうまいのわかる。

210908 好きな曲|藤原|note

川本真琴(アルバム)買おうと思ったきっかけにもなったニトロデイは同世代のなかでも90年代の掘り下げがすごかった(やぎさんはVV magazineでも取り上げられていた)から、私も後を追ってみたい!と思ったけれど多すぎたり、なかなかハマらなかったりしてすぐ断念した。やぎさんのTwitterInstagramTumblrなどを見ながら、たくさん好きになれてすごいなーと思うばかりだった。やぎさんは70年代の掘り下げにも影響しているかもしれない。高田渡とか吉田拓郎とか、このアルバムも聞いてみたいと思うきっかけは少しずつもらい続けている気がする。

そこまで年代が離れていない人たちでいうと、SEAPOOLの涼香さんとおこめさんの共有している音楽にも影響を受けたりしている。数年前に涼香さんがツイートしていて何となく気になっていたアルバムジャケが、突然段ボールの抑止音力のジャケだったと昨日判明した。調べたらこれも90年代のアルバムだった。

いまいろいろ見返していたら、The Get Up KidsのFor Minute Mile(1997)を聞いていないことに気付いた。よく見かけるジャケだ。いつ聞くんだろう。スマパンもちょっとしか聞いていない。こういう、ジャケだけ知ってる、名前だけ知ってるアルバムがどんどん増えて、気になるのだけつまんで聞く。地層のなかから好きなものを発掘するみたいな気分。地層を少しずつ知ると、何年か後になってハマっていたりして面白い。数年前の誰かのツイートを拾ってきて聞いてみたアルバムとかもある。自分のタイムラインはいろいろな年代の情報がぐちゃぐちゃに流れてきて楽しい。ずっと狭く浅いところにいる感覚が抜けない。世界が広すぎて退屈になってしまう日も多い。でも好きになれるものを見つけたいからできるだけたくさん聞きたい。サブスクにあればいつでもどこでも掘れるから助かる。はじめる前に「一度はじめたらやめられなくなるよ!でもぴこんちゃんにはいいと思う!」と教えてもらった通りになった。

初めて聞いたときにはあまりピンときていなかったBUMP OF CHICKENのEver Lasting Lieや、スピッツのとげまるを好きになれたとき、数年ごしの出会いを感じた。そういうの楽しいからたくさん貯めておきたい。断片的にしか覚えられなかったり、すぐ忘れてしまうことも多いけど、初対面で好きになるのも時間がかかって好きになるのも楽しい。

なんとなく気分が晴れなくてしんどさがいなくならない日だったけど、音楽の話とかしてたらだいぶ薄くなった。脈拍も普通で、腕も昼よりずっと動かせるようになってこんな時間までこれを書いている。眠くなってきたのでおしまい。知らないこと教えてくれる人たちいつもありがとうございます。

2022年8月12日 台風前夜

台風来るらしい。台風が来る少し前の風に吹かれていると、夏が終わってしまうような錯覚がある。台風一過のカンカン照りのことは思い出せない。

台風銀座のイントロが聞きたくなったから聞いていた。これって台風の影響なのかも。聞き始めてしばらく台風クラブと今の天気のことを繋げて考えていなかった。この間もジャスミン茶飲んでるときに米津玄師のBlue Jasmineを聞いていたり、台風が来るってときに台風クラブ聞いてたり、後からハッとなることが続いている。映画の方の台風クラブも見たけど最初らへんの音楽がよかったこと以外は何となくぼんやりとしか覚えていない。雨に降られるよりも、雨が降ってるのを部屋のなかから見たい。風向き見つつぎりぎり窓開けたりしたい。ときどき涼しい風が吹いてきて気持ちいい!

 

 

2022年8月6日 これまで これから

広島の原爆の番組がやっていたのでひとつだけ見た。いつもリトルボーイとファットマンがどっちがどっちだかわからなくなる。どちらでもいいということはないのだろうけど、ここではあまり問題ではない。そんな感覚だからいつまでもどちらだったか覚えられないのだと思う。

現在89〜90歳の当時中学1年生だった人たちへのインタビューなどが特集されていた。中学2年生以上が縫製工場で働き、それより上の世代は戦地に行っていたそうで、中学1年生は建物疎開(延焼を防ぐための木造建築の破壊)の労働力として働いていたらしい。

ふと随分前に読んだ本を思い出した。いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録』ポプラ社)という広島テレビが出している本。これも改めて見ると広島の中学1年生の話だ。覚えていなかったので思い出したのは単なる偶然だろう。内容としては重なっている部分もあったはずだ。この本には原爆で亡くなった学生たちが8時15分までをどう過ごしたかという話を1人ずつ書いていた。最後は「母親に見送られ学校に向かう〇〇。(どこそこ)で〇〇のため死亡。」のように締められていた記憶がある。読み進めるにつれ1人ずつ死んでいった。

インタビューを受ける高齢の生存者を見ていて、よくこんなインタビューを受けられるなと思った。強く焼き付いて離れない重大な事件の当事者・当事者の家族や友人・目撃者となり、80年近く経った今でも8月6日にむけてその記憶を掘り返していく。亡くした家族を忘れないようにするとつらかった出来事も忘れることができないと思うと、自分で抱えるだけでも大変なことのように思うのに、毎年「あれから〇年」とあちこちで特集が組まれる。起こったことの重大さはわかるが、インタビューを受ける人びとの精神状態を思うと勝手に心配してしまう。生き残っているのは強い人たちなのだろうな。それでも語ってくれる人たちの覚悟と優しさがあまりにはかり知れなくて見ているだけで苦しかった。
毎年毎年、思い出さざるを得ないような特集があちこちにある状況で生き続けるだけできっと大変なのに。社会全体でフラッシュバックを起こすようなことになっていないだろうか。

インタビューで「〇〇を作るときに大変だったこと」を聞いているのをたまに見かけるけれど、その大変だったことがその人を傷つけていた場合、傷をつついたり、かさぶたを剥がすようなことになっているのではないかと心配になる。「大変だった(つらかった)けど完成してよかった。でもできればあんな思いはもうしたくない。」と答えていたりする。それを何誌も繰り返したら、自分の意志とは大変だった(つらかった)ことと関係なく向き合うことになる。

例えばBUMP OF CHICKEN藤原基央がトラウマになっていると公言している天体観測、Title of mine、ロストマンの作詞に時間がかかったことについて何度も語っているのを聞くたびに、傷をえぐってしまっている気分になる。過去の発言を参照するから再びその話をしなくていいのにと申し訳なくなる。「これまでとこれからを語る」って書いてあると、トラウマえぐり系の質問が書かれていることがよくある。その手の質問を数年にわたり繰り返しているインタビュアーに対する失望もある。「前にもこんなこと言ってたよね〜」と他人だから割と軽く話せることを忘れているように思ってしまうけど、その発言が誌面に載せる情報の価値を生んでいる側面もあるのかもしれない。実際に繰り返された何度目かの発言のタイミングで初めて知ったこともいくつもあることを振り返ると、毎月発刊されて(恐らく・比較的)廃盤になりやすい雑誌という媒体の特性上仕方ないことなのかもしれないが、それによってインタビューを受けた側が苦しんでいたらどうしようと思う瞬間もある。遡って読むごとにその頻度は高くなっているように感じる。このことを知らない読者のためにこの情報を付加しておこう、という配慮なのかもしれない。

インタビューの誌面に、以前の発言を参照する箇所があっても面白いかもしれない。紙幅の許す限り、という感じにはなるだろうけど注のような形で挿入される情報がインタビューの隙間にあってもいい気がしてきた。それでもインタビュー受ける側の負担は減らないかもしれない。口に出すことは負担が大きいけれど、文字としてならあまり負担なく読むことができるような人にはいいのかもしれないが。

原爆の番組はもう何十年も制作されているはずだから、さまざまな人びとのインタビューが蓄積しているはずで、番組の全てが戦争当時 or 現在 とならなくてもいいはずなのに。

  • 戦争当時
  • 〇年後のインタビュー
  • 最近になってわかったこと/見つかったもの、最近になって語ろうと思うようになった人へのインタビュー

こういうのを織り交ぜたらいいのに。大変なのかな。手抜きだと思われたりする?「去年と同じ映像流しやがって❗️」みたいなクレームがつけられたりするのかなあ。勝手な想像しかできない。

原爆の番組のあとニュースを挟んで「おげんさんのサブスク堂」(出演:星野源松重豊)が始まった。こんなぐちゃぐちゃな気持ちのまままともに見られるのか分からなかったが、しばらく見ていたら純粋に楽しめた(と思う)。オールナイトニッポンを聞いていても、星野源の選曲にはハマらないことも多い。番組の最初のほうにかけていた曲にはあまりピンとこなかった。部屋を移ってからの選曲はもっと聞いてみたい。Clifford Brown & Max RoachCherokeeがよかった。

オールナイトニッポンでかけていた曲だと、UNDERTALEのSpider DanceToby Fox)とかイントロくそやべえのコーナーのMK5広末涼子)とかが印象に残っていて、それ以外だと細野晴臣関連の選曲には影響を受けた。そんなこともあり、自分はぜんぜんブラックミュージックに興味がないのだろうなと思っている。といいつつ、Clifford Brown & Max RoachCherokeeを気になっているのは何となくダブルスタンダードという感じだ。ブラックミュージックに興味ないのかも、と思い始めて何年も経っているし、いま聞いたら違って聞こえるかもしれない。Cherokeeのアルバムだけでも聞いてみたい。

番組内では星野源松重豊が自らの音楽のルーツについて語っていた。松重豊は60年代なかばくらいから70年代、80年代にかけて橋幸夫ポールマッカートニー(ウィングスセックスピストルズを1曲ずつ選曲していた。星野源は親から受けた影響について語っていて、先ほども挙げたClifford Brown & Max Roach荒井由実を挙げていた。荒井由実は親の車で出かけるときによくかかっていたらしく「うちといっしょだ!」と懐かしいような気持ちになった。星野源の親がちゃんと14番目の月をかけていたのに対し、私の親は非公式のベストアルバム(しかもDisc1紛失のためDisc2のみ)をかけていたが、ユーミンの曲と親の運転する車の距離の近さに近い感覚があって面白かった。黄昏がフロントグラスを染めるような時間に中央道を下ったことはないが、初めて中央道を通ったときには「ほんとに右に競馬場が見えたあとに左にビール工場が見える!」とかなり興奮した。

自分にとっての音楽のルーツらしいルーツはうまく言えないけれど、マツケンサンバ(2004)はいくらか自分に影響を与えている気がする。当時友達といっしょに毎日のように踊っていたような記憶がある。当時のNHK教育で放送されていたゆうがたクインテットをしばしば見ていたので、知らず知らずのうちに宮川彬良の音楽に触れていたらしい。

宮川彬良の曲だと運命とマンボNo.5を組み合わせたこの曲も好き。

ピアノを習っていたときに現代音楽(と呼んでいた不協和音・やや変拍子の曲)を好んで弾いていたことは今に繋がっている感覚もある。どこにルーツがあるんだろう、と思うけどSCHOOL OF LOCK!をはじめ、聞いてきたラジオと録画して見ていた深夜の音楽番組(音流とか)は外せないと思う。

最近あまりテレビの音楽番組見ていない。フジテレビのPARKは好きだったけど、最近もやっているのかどうか知らないな。知ってる番組も関ジャムくらいしか思いつかない。音流も未だにやっているはずだけどあまり見なくなってしまった。日本のインディーズシーンをざっくり知るにはいい番組だと思う。魁!ミュージックはいまもやってるのかな。いまテレビでやってる音楽番組って何があるんだろう。

そういえば昨日Sonny Boy見終わった。銀杏BOYZの未聴の曲をちゃんと聞くのが久しぶりだった。最初は江口寿史が原案なのかーへぇー、くらいに思っていたけど、そういえば君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命のジャケ、江口寿史だ!?忘れてた…峯田さんと江口さんが仲良しなのか、15年以上経た再会なのかとかもよくわかっていなかったけど、たぶんこれファン待望のやつだ!と思って銀杏好きのフォロワーたちのツイートを掘り返していたのだけど痕跡がぜんぜん見当たらない。そんなもんなのかなー。私も教えてもらうまで知らなかったけど、参加してるのが何となく知ってるバンドや知らないバンドばかりだったから見逃していたことにも納得感はあった。でも銀杏好きな人たちは!?検索機能がぶっ壊れているのならわかるけどうまい説明が思いつかない。ミュートワードにしてるのかも。