2021年9月28日 記憶の攪拌

遅い。なにもできていないな。あーあ、あーあ…

具体的な言及は避けるけれど、5年間経つのを待っていることがあって いまはその5年目に入ってる。4年間経ったからあと1年弱がんばるぞ!という思いがずっとあるのだけど、自分が耐えきれられなかったら またゼロから5年間経つのを待たなければいけなくなっちゃう。そうなりたくない。そうならないために自分をうまくわかっていて、なおかつうまくコントロールできないといけないのだけど、うまくできていない。がんばることと、平穏にやり続けることの間にちょうどよいところを見つけないといけないんだと思う。それなのに、ただ安全に平穏なところにいるばかりでがんばるとは遠いところにいる。

何もしないでいると前提とか常識みたいな、自分のなかにいて当たり前の記憶への確信が揺らぐ。その単語を見ても、それが何を意味するかがぼんやりとしかわからなくなったり、基本的な部分のことが思い出せなくなったりする。たぶんその周期は2年とかできていて、いま大事にしたいこととそのぼんやりが重なってしまっている。どうしたらいいんだ…

やっていることが「常識を疑う」ことをよしとする分野であるけれど、常識の記憶ごと消えちゃうとしたら不便だ…でも真に常識を疑っていることになれるかなあ。ただの無知人間ができあがるだけのような気がする。手放さないようにしたい。

これから何を、どういう順番でしないといけないのか、整理することからしないといけないなという意識がまずあって、それを塗り替えるように次々とやってみたいことをちょっとずつやってみたり、読んでみたい本の目次だけ読んで放っておいたり、何にも腰が入っていない。日記書き続けようとするとこんなことになっちゃうな。昨日書くの忘れちゃったから、今日も忘れるわけにはいかない。つづけたい。

優先順位をつけるのが下手で、次々と手を出しては完遂せず、完遂していないものだらけになって どこに何があるのか 自分がさっき何をしていたのか、何をしようと思っていたのかがたくさん揺らぐ。こんな状態では人と約束するのはやめといたほうがいいかもしれない…締切決まってるやつどうしたらいいのか考えなきゃいけないのに、明日には忘れていたりする。やりたいこと、やりたいとメモして残しておくことからしたい。忘れても思い出したい。