2021年10月17日 情報屋さんとしてのコミットメント

日記って1行で終わってもいいと思うんですよ。

もう眠いな。さすがにもうちょっとは書きます。数日書かないでいるとこの日記のこと忘却の彼方にいってしまうので。なんか一日ずっと眠たかった。昼寝は失敗した。昼寝よりも岡田さんと砂漠さんのトークセッションのほうが大事だったから。あれってオンラインイベントだったはずなのに、あれ…?申し込みしたルート以外にも、視聴できる方法があって 申し込みした意味ってなんだったんだろう…と若干の腑に落ちなさはあるけれど、たのしかったしいいか。これをnoteで書け、という話らしかったけどまあここでいいか。アーカイブが残っているんですね。今後、編集された動画があがったりするのかな。
エミューちゃんかわいかったな、これからどこまで大きくなるんだろう。
「日常を冒険に変える7つの方法」のうち、「お風呂のなかでバブの音を聞いてみる」だけ具体的だった。あれを言い換えるとしたら、「普段着目していない点から物事を見てみる」とか「耳を傾ける」になるかと思った。7つのなかでも「流されてみる」と「忘れる」は、したいけどなんとなくいつもできずにいることでもあるような気がした。「忘れる」に関して言うと、毎日たくさんのことを忘れてはいるだろう(既に忘れているから何を忘れたのかわからない)から、実行はできているけれど、日常のなかで「忘れずにいよう」と思うことのほうが多いように感じている。できることならどんなことも忘れたくない。たのしかったことも、つらかったことも区別なく忘れていっているから自分の行動についてはあまり記憶を信用していない。基本的に自己中心的にしか生きていないので、誰に何を話したかを覚えていられることがなかなかない。記憶の中で他人を区別するのが難しい。
一方で、情報屋さんになりたいと常々思っている。情報屋さんは、歩く百科事典みたいなものをイメージしてる。忘れずに、情報を正確に把握できている人。Wikipediaになりたい。情報を保持していられると、それが他人の役にたてることがある。情報自体は役に立たないものであることも多いのだけど、他人にコミットメントしていける実感をもてる。

何かを好きになったときに、絵を描ける人は絵を中心に、文章が書ける人は文章を中心にしてその好意を伝える術をもつのに そういう能力を自分がもっている実感があまりないから、情報屋さんになれたら 自分の好きを伝えられるのかなあ、と思っている。(絵や文章の能力は、ほんとにちょっとしかない)忘れないことしかできない~って歌いたいよ。これからも情報屋さんとして やっていきたい。純粋な情報は基本的に過去で、その情報が現在にどう結びついているか、それが公にしていいものなのか、秘匿すべきものなのか。どうしたら役に立ちつつ、既に過ぎ去った過去を掘り起こすことができるのかのバランスは難しくて何度も失敗した実感がある。その度、ずぅーん…と軽く落ち込む。でもそのことも忘れちゃって、成長になってるのかも怪しい。私って何をしてるんですか?この日記は、毎日ではないけど続けられている。情報屋さんになりたいね。