2021年12月18日

一日がもう終わろうとしているあたりで気がついた。今日着て街をうろうろしていた服、まえうしろになってる。夜になってからようやく苦しいような気がしてきた。感覚が遅すぎる。もっとちゃんとしてほしい。でもまあ前も後ろも無地だったし、たぶん大丈夫だ。

初めて行く場所にいるとき、毎日新しい場所に行っているというコジコジのことを思い出す。自分にとって初めての場所だと、その地にとって自分は部外者になる。非日常のなかで部外者の感覚を感じている最中も、思い出すときもわくわくがある。自分のことを部外者だと感じるのは、部内と部外を対比させて考えているからなんだろうな。自分が自分であり、他人が他人であるだけじゃなく、自分が内側にいるか外側にいるか、他人が内側にいるか外側にいるかがその感覚にはくっついちゃってる。たぶんコジコジには内側とか外側の意識がないと思う。ここで「部」って呼んでるまとまりへの意識もないか、あっても重要なものと考えていない。あるのは自分(コジコジ)と他人だけ。だからこそ先生にもクラスメイトにも地面のミミズや海のタコにも、物知りじいさんや長生きばあさんにも同じように接することができているんだと思う。私とコジコジでは初めて行く場所への感覚が違う。属性にまみれて生きてるから仕方ないか、私は私ではあるけど性別も年齢もあるし大事なものとそうでないものを区別して生きてるからどうしてもコジコジにはなれないな…なりたかったな…いまからなろうとしたって不可逆な部分が多すぎる。

献血したいな。新宿に新しくでかい献血ルームができたらしい。献血ってできてもできなくてもいろいろもらえるけど、中本のカップ麺貰ったのがいちばん献血のイメージと遠くて面白かった。献血のなかでも成分献血への憧れがある。「血を抜いて、抜いた血から必要な成分だけ取り出して、抜いた血を身体に戻す」というような工程になっているらしく、「血を戻す」工程をやってみたい。前に一度やってみたら、失神こそしなかったけど意識がぼんやりしたので断念した。体調も万全といえるほどじゃなかった(千前くらいだった)から、そのせいもあると思うけど悔しいからいつかやりたい。献血の成功率が低くて悲しい。体重が50kgに満たない小さな人間だから200mLのほうしか出来ない。この間会ったでかくて強そうな体の救急救命士が「我々のようなでかい人間が献血をするので安心してください」と言ってたの頼もしかったな。それはそうと血は足りていないらしいのでできることならやりたい。できれば成分献血を。成分献血はただやりたいだけじゃなくて、次回までに空けなきゃいけない間隔が短かったり、協力しやすいようになってるから成分献血ができたらきっといいんだと思う。400mLができないならなおのこと。でも2回連続で失神とかそういう類の症状が出ると、もう二度と献血しちゃいけなくなるらしいので次回は慎重に200mLからやってみたい。冬は寒いし、血も自分の分だけで大変だろうから暖かくなったら行こうかな、5月とか。

知らない道を往復すると、なんとなくそのあたりを立体的に把握できる。道の見え方は道の端歩いてるか真ん中寄り歩いてるかにもよる。進む方向も、変えると見え方がかなり変わる。今日初めて行った商店街は、中央から路地がところどころに入り込んでいたから、特に見え方の変化が大きかった。世界は上下左右にも前後にも広がっているのに、目は2つしかなくて、視野は限られてくるしたくさん見落としたりもする。何回行ってもまったく気が付かなかったりすることすらある。初めての場所だと、何も知らない広がりをもつ世界を、かなり能力的な限界のある知覚でキャッチすることになる。そこで、まったく知らない道を行ったり来たり往復するとだんだん既知と未知が混ざるような感覚になってくる。さっき見た店の別の店舗がある、とか 道に共通して刺さってるポールとか電柱とか街灯がだんだん見えるようになってくる。朝から歩き回ることは少ないけど、朝から昼、昼から夕方、夕方から夜にかけて変化する景色のなかで、だんだんと知っている道になっていく。店が閉店時間迎えたり、夕方から開いてる店の灯りがついたり、道が恐らく毎日とか毎週繰り返してる時間のことを少しだけ自分も知ることになる。この、知らなかった街をだんだんと知る感覚が好き。他人の日常に片鱗だけ触れられたような気になるのが好き。ちょっとだけ知ってる街を増やしていきたい。

あまり計画なく家の外に出られるのがうれしい。家の内側も好きだけど、外に行ける内側じゃないとただ停滞してるだけになりがちで、やれることがもっぱらやりたいことだけになってよくないということが家から出にくい期間を経て痛切にわかった。変化への適応が間に合ってなかっただけの可能性もあるけど、すぐに「いまできることをやろう」「できないなら工夫しよう」と切り替えることができていなかった事実は過去に、後ろ見るとすぐそこにある。たぶんもっと濃くできたはずの2年くらいだったのに、ほとんど水みたいな薄さになってて 感じていた感覚も自分からかなり抜け落ちてしまっている。たしかに在ったはずなのに気がついたらどこに在ったのかわからなくなった。たぶん「できることをやる」とか「工夫する」とかは攻めの姿勢でいられた人たちの過ごし方で、取り上げられがちなのもたぶんそちらが多い。少なくとも私が目にしているものだと「こういう工夫をしました」ばかり取り上げられているように感じる。それに対して自分は、攻め以前とか守りみたいなところにいる気がする。工夫をできた人たちが適応の段階を踏んでいたのか知らないけど、たぶんそれなしには攻められないと思うから 2年の間に対応を変える適応とか順応があったんじゃないかと思ってる。臨機応変が苦手だと思ってきたけど、2年かけてその苦手さが顕著に現れてきたみたいに思う。これからどうなるかわからないのはいつだってそうだけど、それが強くあるから難しい。たぶんみんなも難しいから「みんなそうだよ」で終わっちゃってどうしようもないな。

すがもんかわいい

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