2022年3月18-20日 知りたがる暴力 知らない暴力

【3月18日】寒かった。冷たい雨が降っているのに外に出ないといけない予定があったからつらかった。その日のうちに体調を崩して、寝たら治った。体調が悪い間、ほかの日の天候と見比べて運の悪さを呪うような気分になった。気象庁の人が3月16日にあった地震から、1週間程度は揺れに気をつけろと言っていたので、おびえながら過ごした。

 

【3月19日】前日がつらかったのでゆっくり過ごした。草野マサムネがラジオでよく言う「ロカビリー」がわからず調べたら、ジャンルのひとつらしい。ロックより前からあるというロックンロールの一部と考えたらいいのかなあ。

ジャンルのことがいつまで経ってもわからないから、自分の蓄積で何となく感覚的に分けている。メタルとかも複雑すぎて、ぜんぶまとめてメタルだと思うようにしたいけど、ハードロックとヘヴィーメタルの違いもあやふやでそれもうまくいかないから、かっこいい!とかテクニカルだな〜とか簡単な感想になる。ジャンルわかる人、どうやってわかるようになったのか教えてほしい。そういう人たちも割り切ってるのかな。ジャンルわからないままでも楽しいけど、わかると関心を広げやすくなるから少しだけでもわかりたい。Dale Hawkins のEarly Rockabilly Hits 聴いて、もともと知っていたSusie Q みたいなのがロカビリーだと思うようにした。ロックの初め頃と区別つけられる気がしない…

‎デイル・ホーキンズの"Susie-Q"をApple Musicで

 

【3月20日】3月20日になったのに、アンダーグラウンドすらまともに読めていない。ニュースで事件から27年と報道されていた。いまは戦争のこともあるし、そこまで大きく報道されていたわけではなかったけれど、恐らく何分かは割かれていたから27年経ってもそれだけ伝えて残そうとする事件だとわかった。

以前の日記にも書いたけれど、地下鉄サリン含むさまざまな事件について当時がどのような状況・反応だったのかを知りたいと思っている。アンダーグラウンド(読んだ部分)に書いてあったことと、今日見た数分のニュースから、現在もあちら側とこちら側をわける考え方がされているように見えた。事件はあちら側の人々が起こしたもので、それは(あなたのように/私のように)日常を過ごしているこちら側の人間にいつ訪れるかわからない悲劇なんですよと伝えているように見えた。再発防止というよりも、被害を受けることは他人事ではないのだと知らせるようなニュースだった。その態度こそ事件の犯人に対して他人事だと思っているのではないか。当時、このような事件があり得ないと思われていたのかどうかすらわかっていないけれど、あり得ないと思われていたのだとしても、「私たち(こちら側)」でひとまとめにしてると感じた。悲劇を繰り返さないことというよりも悲劇は突然やってくることを伝えていたのは、数分を効果的に使える手法なのかもしれない。ニュースの役目はそこにあるのかもしれない。

語ろうとしてくれる被害者がいるのはとてもありがたいけれど心配だ。トラウマを何度も掘り返していると記憶にこびりついて離れなくなってしまうのではないか。教えてほしいけど、苦しんでほしくない。本は一度書かれれば繰り返し話さなくていいけれど、手に取ってもらうまでのハードルがある(現に私は本を手に取りつつも読めていない)。伝えられた相手も苦しむかもしれない。この苦しみは必要なものだと言えるのか。引き受けなければいけない苦しみはどれだけあるんだろう。知りたがることの暴力性と、知らない故の暴力性のバランスの取り方がわからない。知らないことが多すぎる。