2023年1月11日 轢かれ虫

道路を横切ろうとしている黒い毛虫を見ていた。車が通る勢いに吹き飛ばされてころころ転がりながら一進一退というかんじで進んでいた。ニャッキを見ているときの気もちになる。道を半分ほど進んだあたりでタイヤに轢かれて潰れてしまった。何となく応援するような気もちで見ていたけど、轢かれてから死ぬまでが一瞬すぎて惜しい気もちになった。寂しさとか悲しさはなく、たどり着けなかったことが惜しい気もちだった。

その道は交通量も多く、車に轢かれる結末は容易に想像できたから、観察しながらこの虫が道半ばで轢かれることは想像していた。だから轢かれた瞬間はたどり着けなかったことが惜しい気もちのほかに、予想が当たった手応えみたいな実感があった。これも賭けみたいなものなのかもしれない。

虫1匹1匹に轢かれるまでの経過があることはわかっていた気がするけど無視していた。死ぬ手前から死ぬまでを見ると死の物語を勝手に思うようになりそう。死は結果が出てから振り返ることしかできないから、死ななかった人間はああだこうだ言いやすい。

車から見えない位置で悪戦苦闘している虫がいるかもしれないと思いながら運転はできないな。

歩いているときにうっかりカエルを踏みつぶしてしまったことを思い出す。視界が地面に近いのに、見落としていたせいで踏みつぶしたカエルのことは自分の過失として忘れちゃいけないと思っていて、いまのところだいたい10年くらい覚えたままでいられている。こうやって掘り返して、再び頭に刻む。