2023年2月1日 風立ちぬ

風立ちぬ(1976)を見た。ジブリのほうとはぜんぜん違った。飛行機は出てこないし、パーティーで楽しく歌う外国人もいない。でも風は吹いていた。生きようともしていた。

「誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない」

ジブリのほうでこれが引用されていた美しさを改めて感じた。

風立ちぬ、いざ生きめやも」

1976年のほうはこれが繰り返し引用されていた。ヴァレリーの詩を堀辰雄が引用したものらしい。

人が誰がを守ろうとして、傷つけまいとしてつく嘘の切実さがずっとあった。
生きよう、生きてまた会おうと約束した人が亡くなっていることを伝えなければならない現実に耐えられるのだろうか。節子さんが亡くなったあとのお父さんと達郎さんの電話のシーンは思い出すだけでもつらい。見たときも泣いたし、思い出してこれを書きながら泣いている。

私は誰かに誰かの死を伝えられるのかな。うまくは伝えられないだろうな。死ぬことは一人ひとりにとって重大なのに、全員死ぬことが決まってる事の大きさが未だにわかっていないのだと思う。いつ死ぬかわからないことを頑張って無視して生きているから、いつか実感をもって近くで起こる死に対してうまく対処できないだろうな。死ぬことに慣れるのも違うけど、受け入れられないでいることもきっとつらい。

結核がかつてどういう病気だったのかよく知らないけれど、山口百恵の病弱な雰囲気とは反対に腕が健康そうに見えた。実際の結核はどうだったんだろうね。若い松平健も出てきて、あっという間に戦死していった。

それはそうと最近は映画をこれまでにないペースで見ている気がする。次は何を見ようかな。

お昼ごろお腹が空いて、たくさん食べられそうな気がしたけどそんなに食べられなかった。昨日もそうだった。自分の食欲と実際に食べられる量がいつまでもよくわからない。頻繁に見誤る。少なくしてみたら満足できなかったりするし難しい。どのくらい食べるか聞かれても、食べてみないと何ともわからない。みんなどうやってるんですか?経験と感覚でだいたいできるようになるのかな。バイキング形式だと少しずつ確かめていけるから大丈夫なのだけど、空腹感も、ちょうどよくお腹を満たすのも難しい。全員が何度もこれをしないといけないのすごいな。食べて出しての循環が80億人分と思うと果てしない。食べ物が足りないのもそりゃそうかと思う規模の大きさ。