2022年4月23日 もういない人

成田さんに内海桂子のツイートを残していいよと言われた。
成田さんに内海桂子のツイートを残していいよと言われた?言われた。間接的ではあるけどすごいことだ。こんなことあるんだ。成田さんというのは内海桂子さんの旦那さんです。成田さんが生きていてよかった。誰の意向も確認できなかったら、ずっと内向きにもやもやと抱えるところだった。これは責任もって内海桂子師匠のツイートを残さなくちゃいけない。とりあえず見やすく残したい。少しずつ進めます。もういない内海桂子の言葉を残す役目が生まれた。重大だ。

ミロの展示やってるんじゃなかったっけ、と思って調べたら先週で終わっていた。先週ちょうど渋谷にいたのに。互いに素(リックェさんと店長さんのラジオのイベント)が始まる前に渋谷うろうろして「Bunkamuraってこのへんなんだ~、へ~」と思っていたのに!
かつての表記はジョアン・ミロだったけど、近年はジュアン・ミロと表記するらしい。そうなのか~ 行けなかったけど……
ミロ展―日本を夢みて | Bunkamura

今日はこれを見に行った。
植本一子|あの日のことおぼえてる? | つくりかけラボ | 千葉市美術館
写真を撮ったりアンケートに答えたり、来場者が参加する企画展だけど2回目だったから他の来場者が残していったものを見るだけにした。1度目は初日の夕方だったこともあり、写真もアンケートも随分増えていた。

写真だけ先に見ていたら気になるものがあった。おばあさんが穏やかな表情で写真の右端に1人でイスに座っているだけの写真で、左側に空けられた余白が気になった。この企画展では、アンケートに途中まで答えて→写真を撮って→アンケートを完成させる という流れになっている。1人で来た人は「思い出す誰かとのあの日の思い出」、何人かで来た人は「一緒に来た人とのあの日の思い出」を書くことになっている。このおばあさんは1人で写っていたから恐らく1人で来たのだろう。アンケートを書きながら思い出した誰かと一緒に写るような気持ちだったのだろうか。そうだったとしても、もう少し中央に寄ってもよかった気がする。
写真だけ見ていろいろと考えながらアンケートのほうも見た。親子で来た人、友達と来た人、恋人や配偶者と来た人、1人で来た人など来場者はさまざまだった。おばあさんは40年以上前、出産時に亡くした息子のことを書いていた。余白には息子がいたのかな。右端に座っていたのは、子どもがいたかもしれない左側の余白を大きくするためだったのかもしれない。そこには亡くした第一子のことしか書かれていないからそれ以外のことは何もわからないのにすごく印象に残った。数十年前の「あの日」を思い出しているから、あの日から現在までに経た時間の長さが長かったこともあり重かった。でも必要な重さだったと思う。自分がこれをどう受け止めているかわからないのにすぐ文字にしている。おばあさんの写真をもう一度見ていたら、頭にはキャラバン(BUMP OF CHICKEN)が流れた。連想するとしたら「随分先に行ってしまった 光の下のキャラバン」「トンネルに残響」あたりかな。この企画展は7月まで続くのでまたしばらく経ったら行こうと思う。前回は会場で靴を脱ぐことを知らずに裸足で行って恥ずかしい思いをしたので今回は靴下を履いていけた。ちょっとだけ前進。次も靴下を履いていくことを忘れないようにするぞ。次行くときは靴下のことなんか忘れてるような季節かもしれないから忘れないようにするのがきっと難しい。

ひと通り見て気が済んだあと、植本さんを知るきっかけになったSHABELにサインしてもらった。大事な雑誌がもっと大事になった。買うときによく確認しなかったから、目次のあたりが少し汚れているのだけどそれでも何回も読み返してる。

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帰りに『ある日突然、目が覚めて』を買った。f:id:eudoftheworld:20220424014536j:image

植本さんの去年の夏の日記らしい。一昨年の日記がよかったからこれも楽しみ。