2021年12月30日 こいつまたバンプの話してる

ここ数日、部屋を片付けなければ、と思って大掃除。片付けなければならないものたちをひと通り出したあたりで飽きたのか力尽きたのか進められなくなって今に至る。普段のほうがよっぽど片付いている。本が山になっている。このまま年越さないようにだけ、すこしだけでいいから体裁を整えたい。すっかり忘れた場所から、行方不明だと思っていたCDが数十枚出てきたから新しく収納し直したいし、それらを一番奥に収納していたせいで他の取り出したものたちが仕舞えなくなっているんだ。

なんというか今になってようやくきちんとバンプを聴けているような感覚がある。歌詞を改めて見たり、買うだけ買って読めていなかったインタビューとか、読んだけど忘れていたインタビューとか、新しく買った雑誌のインタビューとか。とにかく文字として残された藤原基央の痕跡を辿って、また聴いて、の繰り返しをしている。そのなかで新しく見えてくる面がたくさん、本当にたくさんあって、いままでこれもわからずに聴いていたのか、10年近く好きでいるはずの音楽なのになんとなくただ好きなだけだったように感じてくる。でも中学の頃に友達に貸してもらったベスト盤を久しぶりに再生したら、中学のときに聴いていたバンプの質感があったり、忘れずに残っているものもあった。ベスト盤を貸してくれた友達と、今は一緒にSilver Jubileeに行くために応募しては落ち続けている。ポンツカとかで「タイミングが合ったらライブにも来てね」くらい簡単に言うけどチケットが取れないと予定空けても行けないんだよ!!ライブに行きたい。当たらなかったり、好きな気持ちが遠ざかっていたりしていたせいでBFLY以来5年以上行けていない。ずっっと好きな人が行けるのがいちばんだ。何となくアリアあたりから配信で小出しになるようなリリースについて行くのが難しかった(ようやく最近あとから追えた)ような自分に当たっても仕方ないのかもしれない。けど、それでも今行きたいんだから行かせてよ〜(駄々)行きたいぜ。行きたいよ。諦めたくないよ〜うわあ〜行かせてくれ〜お願いします!!!年末年始プレオーダーだっけ、名前忘れちゃったけど今応募してるやつ当たってくれ!!!!今度こそ!頼む!!

新しく見えてくる側面は歌詞にも、曲作りの背景にもある。たぶん歌詞をちゃんと読んで理解していなかったから、Stage of the groundの「君が立つ 地面はホラ 360度 全て道なんだ」のところを「全てに地面だ」だと思ってたり、オンリーロンリーグローリーで「息絶えた 心を撫でた 殺したのは他ならぬ僕だ」って歌ってたと初めて知ったり、ちゃんと聴けていなかったんだと実感することが多すぎる。初期の英語詞はまだ聞こえてこない。覚えていたのに忘れちゃってたのかもしれないけどね。ポンツカも聞けてない時期があったり、聞き逃してる回で穴だらけ。やさしいやさしごんの発言も記憶にない。数年前のラジオ、それも数回しか聞いていないラジオのことなんか覚えてなくて当然のような気もするけど、言われてもわからないくらいだと悲しい。欲張りだから何もかも覚えていたい。忘れまくっていて悲しい。

抱いていた印象が変わったの、ロストマンの9ヶ月の制作期間かもしれない。2015年5月号のMUSICAで「歌詞が9ヶ月かけなかったこと」「また書けない時期が来るかもしれないこと」への怖さが語られていた印象だったのだけど、リリースのタイミングあたりで受けた2003年3月号のBREaTHでは「時間かけてじっくり作れた」と語られているように感じた。ロストマンのあとにスノースマイルができたけど、ロストマンスノースマイルは一緒にシングルにすべきじゃないし、せっかくだからスノースマイルを冬にリリースしたくて、ロストマンは寝かせておいた、その時間かけてよかったと思う。くらい言ってるように見えた。藤くんのなかでその時間の受け止め方が変わったのか、どちらも本当なのかわからないけど、リリース当時のインタビュー読んでロストマンへの印象が変わったし、10年以上経ったインタビューと読み比べてロストマン製作時の藤原基央への印象も変わった。

バンプについての記事で印象に残ってるのが2つある。1つはオーイェーアハーンを数えた記事で、もう1つは藤原基央は野生のブッダだと言っていた記事。たぶんこれこれ。まだ野生のブッダにウケている。面白い。何と言うか、藤原基央の書く歌詞は(いま「ふ」って打ったら「藤原基央の書く歌詞は」ってでてきた…なぜ…ま、いいや、藤原基央の書く歌詞は)歌う前提みたいなところがあるから、文字で読むだけだと感情がやってこない感覚と気恥ずかしさみたいなものがある。歌詞カードだと歌詞同士の並びが整っているけど、それを抜き出してくると途端に恥ずかしくなる。いまなんとか歌詞の共通項を書きたくてちょこちょこ書いているのだけど、ずっと恥ずかしい。熱がぼんやりしたまま書き終わらせないと 書けなくなってそのまま終わっちゃうんだろう、という予感があるから何とか気恥ずかしさに勝って書きたい。書いて出したいんだ。あーはずかしい。藤原基央の歌詞に自分が見ているものを書いて人に見せるのは、弱い部分を晒すような感覚がある。なるべく自分を排して、歌詞そのものを抽出して歌詞が描いてる変わらないものを書こうとしているのに、そこにはどうしても自分の視点が介在してしまう。自己紹介みたいにどうしてもなっちゃってはずかしい。なんとなくしか聴けていなかったように思ったとはいえ、ずっとそばには在ったから。ずっとそこにあるのに気づいていなかったの!ハルジオンみたいだね!はずかしい、はずかしい…

共通した単語が出てくるのは、近い時期に制作された曲であることが多いから互いに影響し合ってるんだろうなと思う。時を超えて共通した語が使われているときには、変わらなさを顕著に感じる。紅白歌合戦たのしみだ。天体観測(2001)の進化を、発売当時のMVとか 今に至るまでのライブ映像、ライブ音源から何となく感じているけれど いまのバンプの天体観測が聴けるのが心の底から楽しみ。わくわくしたまま眠るよ!おやすみなさい。部屋を片付けなくちゃならないんだった!