2021年1月2日

ROCKIN' ON JAPANのいちばん新しい、マカロニえんぴつが表紙のロッキン。そのバンプ4人のインタビュー読もうとしてるのだけど、途中までしか読めないでいる。ちゃまが活動休止して、だんだんと復帰していく様子を自然みたいに思っちゃっていたことを如実に感じた。読みながら、3人を代表して藤くんだけが話していたポンツカのことを何度も思い出して、その度つらくなった。あの日のポンツカは、朝起きてからご飯食べて、お皿洗いながら気をやや逸らして聞いた。そのときはポンツカも聞き逃し続けたり、曲もあまり聴いていない期間だったけれど自分にとってどのくらいバンプが大切だったか、なくなってしまうことを思い浮かべることがどれだけ恐ろしいかを感じた。それまで具体的に思い浮かべてこなかったその事態が喫緊の話題として(そして取られなかった選択肢として)語られていたこと、震えながら話す声、傷つけてしまったことへ傷ついているような様子を聞いてしまったのが、たぶんつらかったんだと思う。自分でも驚くくらい泣いた。あのとき抱いていた感情はまだよくわからない。普段しないエゴサをして、受け止めようとする姿勢は藤原基央だしバンプらしいと思う。でもそのときは、「そんなことしないでほしい」「これ以上傷つくようなことはしないでほしい」と思っていたのは覚えている。自分が傷ついていないから、傷ついた人をいないみたいに思って、聞こえてくる藤くんの声にこれ以上傷つかないでほしいと思っていた。そのあとに出たCUTで藤くんが「BUMP OF CHICKENを終わらせるより、壊れるまでやり続けるべきだと思った」とかそういうようなことを語っているのを読んで一層その思いを強くした。壊れるまでやらないでほしい、と率直に思った。 渦中を抜けて、復帰したちゃまもポンツカに馴染んできている(まだメールも読まないしタイトルコールしないし各SNSは堅い)なかで活動休止なんてなかったみたいに思っちゃってた。ポンツカの返事が「はい」じゃなくなったり、4人でけらけら笑ってるラジオ聞けるようになったのうれしい。ポンツカで聞いたちゃまの声、いまでもたまに頭に流れてる。ひどぅんのときの「はいでぃんぐ」とか台湾からのメール読んでるときの「ジャーバーボエ?ホージャ!」(ご飯食べましたか?おいしいです!)とかが頭に残っていてたまに流れてくる。

この1年ちょっと、4人にとっては深刻であっても、私が深刻に受け止めないといけない理由はないけれど 自分がそれを無視していることすら気に留めていなかったのを自覚した。渦中のことを思い出しながら、同時に忘れていたことも思い出した。私は望んで彼らの過去の作品や発言を聞いたり見たり読んだりしてるだけだから、いまを見なくてもいいはずなのに。ロッキンを最後まで読めたら、いま置かれている状況ともうすこし向き合えるんだろうか。何も変わらなかったらどうしたらいいんだろうな、、られ 眠たい 寝る(おわり)