2022年1月20日 よいお風呂あがりの日記

ぼんやりした頭だ。身体の方も「ぼー………」となっている。お風呂を気もちよくあがれた。タイピングもなんとなくぼーっとなってる気がする。

ぼんやりしたまま寝るためにそのまま行きます。お風呂で考えていたこと忘れちゃったな。また思い出せる日が来るまでのわからなさだ。ずっと思い出せないままかもしれない。………。しばらく考えてみたけど本当に何ひとつ思い出せない。すっからかんだ。

こないだ読んだCUTの藤原基央のインタビューで、BUMP OF CHICKENの望遠のマーチという曲の歌詞について

「この曲が面白いのは、最初の≪いこうよ≫のあとに≪夜を凌げば 太陽は昇るよ≫という歌詞があって、普通ならここで終わるよね。でも藤原くんは≪そうしたら必ず また夜になるけど≫って言う」(テキスト:渋谷陽一

と書かれていた。これに対し藤原基央は「事実を書くことが大事」と答えていた。

そこまで書くんだ、という感動に似た感覚。ここで渋谷さんが聞いた望遠のマーチは感動まで行くかわからないけど、ハッとして自分の感覚の一歩先まで踏み込んだ気分になれた曲だったんじゃないかと思う。

自分にとってその印象が強い曲は、ALの「NOW PLAYNG」だ(「AL」も「NOW PLAYING」も検索すれば出てくるけど、埋もれて情報が見つけにくい)。曲は小山田壮平長澤知之が一緒に作っていたりするらしい。酔っ払いながら作られた曲が多く、このあたりは本人たちにも曖昧らしい。どの曲も作詞作曲には2人の名前が併記されている。 ラジオから流れてくるこの曲を、実家の自分の部屋で初めて聴いたとき、

ああ 僕らがすれ違ってきたのは
僕のせい 君のせい 神様のせい 誰のせい
I don't know I don't know

この部分にいたく感動した覚えがある。特に「僕のせい 君のせい 神様のせい 誰のせい」の部分。ここに、この4つが1列に並ぶことが自分にとって新鮮だった。このなかの2つとか3つが並んで書かれていることならそれまでにも見たことがあったかもしれないけれど、4つとも並んでいることにハッとした。そのあとに「I don't know」と繰り返されていることも含めて、思考の流れが漏れなく文字になっているような気すらした。「(僕と君の間に起こったことの)理由を考える」→「誰のせい?」→「わからない」の流れだけでは感動にはならない。「誰のせい」の部分で何を考えたのか、どういう順序で考えたのかが示されていて丁寧で好き。丁寧に4つも並んでいるけど、くどくなく歌われているのも好き。

誰かのせいかもしれないけど、誰のせいでもないかもしれないことを正直にわからないと書いているのが好きだ。僕のせいか君のせいか、はたまた神様のせいか 誰のせいなんだろう…と思いを巡らせているような流れを感じられる好きな歌詞。

これじゃ、今日何したかわからないな。スーパーに行きました。ドリアンの匂いをガスか何か有毒なものだと思って身構えた時間がありました。あとは、車運転するのイヤだと思いながら運転しました。駐車って運転手みんな普通にしてるけど、めちゃくちゃな行為だと思う。自分の目は2つしかないし、※視野には限りがあります なのに全方位ぶつかる可能性のある行為を、できる人はサラッとこなす人たちがいるの、なんなんだ。なんとかやりすごす、くらいしかできない。運転席ってずっと緊張して嫌いだ……運転すること、えらいと思い込もうとしても何とも思わなくなっちゃったな。運転するのはえらいから、運転したのえらい!みたいな思い込み、実は何も言えてないことが脳にバレてきてる。

いいお風呂あがりだった。ぼんやりしたまま寝ます……おやすみなさい………