2023年2月21日 世界名作劇場

母をたずねて三千里を見ている。空のバケツに水が注がれる音がすごくいい。なんでだろう、と思い返していたら小学校の掃除の時間に使っていたバケツに水を注ぐ音に似ているのを思い出した。小学校の掃除の時間は雑巾をしぼるのが好きだった。雑巾をしぼるときは主に腕の内側の筋肉を使う。ここを使うのが好きで他の人の雑巾まで洗ってしぼっていた。しっかり水分がなくなるくらい雑巾をしぼれることを誇りに思っていた気さえする。作中にはマルコが父ピエトロと洗濯物をしぼるシーンがあった。

母をたずねて三千里には手がでかい人がたくさん出てくる。この作品が1976年、この前年(1975年)にはフランダースの犬、そのさらに前年(1974年)にはアルプスの少女ハイジがやっている。ハイジ、フランダースともに両親を亡くしている子どもが主人公だったせいか、マルコには両親ともいることが新鮮だった。でもお父さんには借金があり、そのためにお母さんはマルコや父ピエトロのいるイタリアから遠くアルゼンチンまで出稼ぎに行き、離れて暮らしている。

当時、子どもとしてこのアニメを見ていた人たち(1960年代後半~1970年代初め生まれ)がどういう風にこの物語を見ていたのか気になる。作中にTRATTORIAの文字が町の風景に何度か出てきて、Corneliusをたびたび思い出した。小山田圭吾は放送当時子どもだった。

第10話「かあさんのブエノスアイレス」、第11話「おかあさんの手紙」は、タイトルにマルコがかあさんを思う気もちの強さが現れているのだと思った。どちらもマルコのお母さんを直接想起させるシーンはわずかで、その話の主題ではないように感じるからだ。しかしマルコはずっとお母さんに会いた気もちでいっぱいでいる。その切実さが物語をなぞるだけの視聴者(自分)とはズレを生んでいるような気がした。このタイトルに決めた人たちはきっとマルコの主観からこの物語を見ていたんだろうな。

マルコが自分のことを一人前と認めて欲しがっているところにフランダースの犬のネロが重なる。マルコは「かあさんのために」という目的があるから根本は違っている。でも責任感が強そうで頑張り屋さんなところも少し似ている。これからどうなっていくんだろう。つらいシーンも多そうだ。

アンパンマンの虹のピラミッド(映画)を見た。終わりのほうに流れていた虹の星がよかったのに配信されていなかった。てっきりこの曲がエンディングかと思っていたら、エンディングは勇気りんりんだった。この虹の星は挿入歌という扱いらしい。アンパンマンの映画の曲ってだいたい配信されてると思っていたのに聞きたいこの曲が配信されていないことあるんだ。クレジット見る限りではドリーミングの曲なので一層不思議だ。

この映画は確か幼稚園の頃に見た以来だったから、かなり断片的な記憶しか残っていなかった。キャラクターたちが順番に、すなおとこたちによって四角錐にされていくシーンでもうだめなんじゃないかと思ったことは覚えていた。この映画について調べようとするとサジェストにトラウマと出てくるし、当時の私もきっと怖かったんだろうな。四角錘のアンパンマンと新しい顔の関係はよくわからなかった。あのまま四角錘のままでも大丈夫だったと思うけど、あのままだとヒーローとしての強さが揺らいでしまうのかもしれないな。エンドロール見ながらアメちゃんの声が松本伊代だったことに驚いた。