2022年4月9日 墓前歌

お墓参りに行った。風がやや強かったが心地のいい陽気で、墓に着いて車から降りたときにるんるんで「ぼくらはみんな生きている〜🎶」と歌っていた。声に出してから気が付いた。ここにずっといる人たちはみんな死んでいるんだった。「生きているからかなしいんだ」っていうし、生きていないから悲しくもないだろうけど、墓場で歌うには適切な選曲ではなかったと思う。というか、墓場で歌なんか歌うべきじゃないのかもしれない。

この墓場でいちばん面白い墓を今日も見た。具体的には伏せるが、人間の墓の側にあるペットの墓にオチがある(ように感じる)。きれいな三段オチなのだ。その墓には花が添えられていたので、この墓の関係者も最近墓参りに来たらしい。どんな人たちなのか気になる。

散っていく最中の花を見た。地面を見るとヒメオドリコソウが一面に広がっているなかにタンポポがちらほらと咲いているところがあってすごくよかった。桜の花より春の全体的な雰囲気のほうが好きかもしれない。あと低くカワセミが飛んでいて、目で追うのも大変なくらい速かった。野生のカワセミ見たの2回目!

桜にまつわる曲はたくさんあるけど、なかでも川本真琴の桜とBUMP OF CHICKENのpinkieは飛び抜けて好き。2018年の3月末、春になり始めた空気のなかで初めて聴いた川本真琴の桜の衝撃が忘れられない。川本真琴の曲には、所謂青春というか若い青さと未熟さの自覚が描かれている曲が多いと思うが、桜は特にすごい。「桜になりたい 風のなかでいっぱい 一人ぼっちになる 練習してるの」が初めて聞こえたとき、春の強い風に吹かれる桜の花と別れをこんな風に表現できるすごさに感動した。私は簡単に感動しがちだけど、このときのもったりとした春の空気のなかで初めて聴いた(でもテレビで演奏したときの無断転載をしているツイートだった)ときの感覚はまだぼんやりと残っているから、感動のなかでも後に尾を引くような感動だったらしい。その感じはそんなにたくさんない。

【MV】川本真琴 Makoto Kawamoto 桜 Sakura - YouTube

2018年4月、自己紹介に次ぐ自己紹介をしているなかでBUMP OF CHICKENの話になった。どの曲が好きか聞かれ、少し迷いながら「pinkie」と「ほんとのほんと」が好きだと答えた(どちらもアルバムには収録されていないカップリング曲)。そのときの反応には「(こいつ)pinkieとほんとのほんとが好きだってよ!」と口々に言われるような、マイナーな曲を好きな奴が来たと思われているんだろうなという感覚があり、あまりよく思っていないのだけど記憶にはしっかりと残っている。自分はずっとこの曲を好きなんだ、と思い返すとき必ずこの日の会話が思い出される。

インタビューを読むまでこの曲が桜の曲だということはわかっていなかった。歌詞に1つ「桜」という単語は出てくるけれど桜の曲として作られたにしてはさりげない。もう思い出になってしまった人が思い出のなかから祈るように、あなた一人が聴いてくれたらいいと歌った歌だと解釈していて、その思い出のなかの景色に滲んだ桜の景色がひとつある。それだけと言ってしまえばそれだけだ。タイトルも桜とは近くないように感じている。ロストマンで「僕らが丁寧に切り取った その絵の名前は思い出」と歌っていたことも思い出す。その切り取った一瞬に桜があって、それが象徴する関係性と別れと祈りなんだと思ってから、この曲が桜の曲になった。

Pinkie - YouTube

簡単に感動して簡単に忘れるから、なるべく覚えていられるように刻む。自分が何をどう見ていて、そのなかで何を好きなのかわかっていたいと思う。言葉になっていない部分が多すぎる。他人に聞かれて初めて考えることとか、あとでもっと考えたいと思っても何をもっと考えたかったのがわからなかったりする。自分のなかの言葉を自分だけにわかるように書くのはよくないけどいちばんやりやすいからついそうしてしまう。あとから見返すと主語や目的語が省略されていて自分にもわからなかったりする。忘れてばかりだ。周りに人がいるなかを生きていて、互いに忘れながら思い出しながら関わったり関わらなかったりする瞬間が続いていること、繰り返された当たり前だけど自覚するのも自覚し続けるのも難しい。

2022年4月8日 B-MYOな写真グランプリ&いらない写真展

普段、日が暮れてから知らない道を歩くことは少ないが、今日は珍しく夜に知らない道を歩いた。知ってる道と知ってる道が知らなかった道で繋がった瞬間が二度もあり、既知と未知の接触が気持ちよかった。

「真(しん)」2021年5月21日の日記 | ウロマガ

このときのウロマガでも触れられているてんとうむ真(しん)のネーミングセンスはすごい。このアイデアが出てくるだけですごいのに、それに決定して看板などを立てているのはすごすぎる。もはや違和感もないんだろうな。最初こそ変な気がするかもしれないけど、それが日常になってしまえば馴染む気がする。てんとうむしも真も、それぞれは割と日常的に使われる単語だということもあるから。

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見つけた変なものの写真を見せ合うのって面白い。今日はそれがたくさんできて楽しかった。かなり一方的に送るばかりになっちゃったけど、他の人に見せると自分が気がつかなかった部分に気付いてもらえたりする。自分で見せるときに笑っちゃって大変だった。f:id:eudoftheworld:20220409022630j:image

そこでは紹介しなかった置き物の写真。閉じ込められた動物たちに見えて、物語がありそうな気がした。好奇心が向く部分には恐怖と面白さが紙一重だったりして、人によっては引いてしまう部分だったりする。他人の不可解さに対しては、おおっぴらには言えない部分もあるけれど他人と共有したくなる面白さや好奇の視線が同居しているから、見て感想を言い合いたい。写真を撮ることそのものの是非も含めて、どこまでならいいのか、と考えると難しい。いつかどこかで誰かに怒られるかもしれない。

虚無ラジのいらない写真展とか、ベボベLOCKSのB-MYO(びみょう)な写真グランプリが好きで何度も見返してるから、その続きみたいなことができると楽しい。変な場所、違和感に対してある程度共感されたうえで、共感されない部分もあると自分のなかでも面白さが拡張される。すぐにいろいろ忘れてしまうから、気軽に写真を撮れる時代でよかった〜

体力(持久力)がなくてすぐへとへとになっちゃうから体力をつけたい。疲れてる状態でさらに頑張ればつくのかな。

先週壮平くんがキャス歌っていたスピッツの流れ星から、花鳥風月を初めて聴いてみてスピカとか旅人がお気に入りになった。その2曲を気に入りすぎて何回も繰り返し聴いてるからまだ最後まで聴けていない。スピカはあの歌詞のなかに出てくる「幸せは途切れながらも続くのです」が耳にひっかかるように残った。そのフレーズで終わるのも印象的だった。旅人は最初「旅人になるのは今なんだ」と歌ってるように聞こえていた(正:旅人になるなら今なんだ)。「ありがちな覚悟は嘘だった」の部分に、友部正人のどうして旅に出なかったんだを思い出した。旅に出たいと言いながらいつまでも出ない卑怯さを責められるような感覚。353号線のうたはまだ聞けていないけれど、ALの風のない明日の歌詞「Sun goes down」を「353(さんごさん)」だと間違えていた時期があったから353号線のうたに繋がってるみたいに感じた。ゆっくりアルバムを聴くの久しぶりで楽しい。1999年のアルバムなのいいなー。いまは2021年の花鳥風月+しか売っていないらしい。2021年のリリースをもって1999年のほうの販売を終了したらしい。いまは売れにくくなっているフィジカルを何種類も抱えておくメリットがあまりないのかもしれない。古いほうは廃盤になるけど、新しいほうで聴けるからいいか。1999年リリースだとポリドールから出てる?→ポリドールから出てた!調べたらちょうどポリドールがポリドールじゃなくなる過渡期だった。

スピッツバンプって、同い年の人たちで組んだバンドがずっと同じ4人のまま20〜30年続いているところとか、売れても謙虚な姿勢で居続けてるところが似てるように見える。他にもいるかもしれないけど、そんなにたくさんはいないんじゃないか。すごい奇跡を同時代で見ている。ほかにもそういうバンドやグループあったら知りたい。

2022年4月7日 早寝声

いつもツイキャスで聞いていただけの人と初めて話した。何というか、自分はその人が馬鹿にしているような人間だと思っていたのですこし怖かったけれど、すらすらと話せたので自分としては楽しかった。思い出そうとすると話の脈絡が見つけられない。とりとめがなかったからなんかボディビルの話とか、渦潮を見に集まる人間の話をした。太っている人の動作の比喩に文房具を用いていたのが面白かった。普段、機能を果たすことが目的になっているような物において、ある個体だけが太っているという状態はなかなかないと思う。手作りでばらつきがあるものならそういうこともあるかもしれないが、わざわざいくつかだけ形を変えることは想定しにくい(でも稀に星型が入ってるお菓子とかはあるか…)。なるべく画一的な作り方がされているのではないかと思う。基準から大きく外れた大きさのものがない、という意味で量産品は太らないと言えるのではないか。

その上で太っても問題なく使える文房具とそうでない文房具があるように思った。のりは太っても容量が増えるだけで、「お得用」「大容量」と示せばそのまま売っても気づかれないと思う。しかしはさみがシャープさを欠いたら、実存に先立つ本質が失われてしまうのではないか。ふくらんだはさみにも切断能力があればぎりぎりはさみとして成り立つかもしれないが、これまでとは違うはさみになるだろうなあ。文房具における「太さ」「太くなる」ということがどういうことなのかもいくつか別の解釈ができそう。単に厚みが増したり、体積が大きくなるだけのことを太ると表現するか、膨らむことによって直線がゆがむような状態を太ると表現するか…とかいろいろ。ゆがんでしまうと本質を失ったり利便性が損なわれるものは多そう。

ボディビルダーの話あたりだったか、太いふくらはぎの話をしていたときにこの映像を紹介したので久しぶりに見返した。

youtu.be

記憶のなかでふくらはぎが膨らんでいたらしく、思っていたより太くなかった。太くないけど、きれいな形をしてる。ずっと細かく足で刻んでるのすごいなあ。そういえばこの曲が入っていたアルバム(Obzen)だけサブスクから消えた。Chilly Gonzalesもいちばん好きだったSolo Piano(アルバム)だけサブスクから消えたし、Yamasuki Singersの素晴らしきYamasukiの世界もいつも使ってるApple musicからは消えた。my bloody valentineみたいに戻ってくるといいなあ、このなかから1つだけしか戻せないと言われたら、迷いなくSolo Pianoを選ぶ。これが聴けなくなったのほんとに悲しい。寝る前に聴きたい夜があるのに。

今日の会話は話しやすかった。自分でフリースペース開いてもスペース開いてもツイキャスしても人がほとんど来ないことが多いから、人がもくり開いていると話せるかも!と参加することが多い。他人きっかけじゃないとうまく話せないような自覚もあるから、相手してくれる人がいるのはありがたい。この人が相手ならこういう話がいいかな、と今日話した人たちも、ありがとうございました。たまに話してくれる人もありがとうございます。頭と口がゆっくり盛り上がっていく感覚は楽しい。うまく話せていなかったと感じることも多いけど、繰り返さないとこればかりはどうしようもないんだろうな。もっと話すことに慣れたい。

眠い。早く寝てそうな声だと言われた。この時間に日記を更新してる時点で早寝ではないと思うけれど、遅寝の人間が多いインターネットの人たちを見ていると極端に夜遅くとか朝まで寝ないことは少ないかもしれない。2020年7月18日の明け方4時頃、今日初めて話した人が開きながら寝たツイキャスを聞いていたことがあったな。なんかみんなコンティニューコインで続けてた。3時とか4時まで起きてることはなかなかないし、たいてい夜は眠くなってぐっすりと寝ている。深夜にある配信とか見逃した痕跡のある朝をなるべく減らしたくて起きている日があったりする。他人に合わせるための夜更かし。聞きたいラジオに合わせて寝起きしていた時期もある(いまもたまにやる)から、夜をいっしょにすごしたい理由がないと寝ることが多いのかもしれない。

かっこいいから「ヴ」なのか。

2022年4月4日 夜→夜明け→朝

図書館へ行くぞと思い立ち、雨が降るなか図書館へ向かった。今日は月曜日。市内の図書館はどこも閉館だった。雨が降っているから長靴を履いて出かけるつもりが、ほとんど意識しないうちに履き慣れたスニーカーを履いて外に出ていた。

普段から図書館へ行きたいと思っているがあまり行っていない。家から近い図書館はどこも17時頃に閉館する。それなのに行きたいと思い立つのはたいてい16時に近い頃だったり、17時を過ぎていたりすることが多い。それに自室の本棚に未読の本が3桁あることを考えると自室の本を自室で読んでいればいいじゃないかと思えてくる。そう思うだけで自室の本も滅多なことがなければ読まない。読みたさだけがただ満たされずにそこにある。

 

北條民雄 いのちの初夜

図書館近くの休憩所で、読んでいる途中だったこれを読み干した。(以下、ややネタバレを含みます)癩病患者の入院初日、病院にたどり着くまでにも病院に着いてからも何度も死ぬことを考えるが死にきれないまま夜を過ごす物語。同病患者同士の対話が夜の暗いなか行われていた。読後、夜を過ごすこと、人間として生きること、人間として死んだ後の生き方(不治の病人としての生き方)について書かれていたことを反芻した。

図書館へ向かう道すがらBUMP OF CHICKENユグドラシルを聴いていたが一旦再生を停止し(M11 fire sign)これを読み始めた。読んでいる間もヘッドホンは付けたままだったため、読み終わってすぐ先程の続きを再生した(M12 太陽、M13 ロストマン、M14 midgard)。夜が朝になり、物語として結末を迎えるような3曲が続いて、この作品を読んだ後に再生してよかったと思った。太陽は夜、ロストマンは夜明けの印象がある。特にロストマンはMVに色が付くシーン(最後の「破り損なった〜」)以降に夜明けのイメージを重ねている。物語の結末への印象と太陽の「出れたら最後 もう戻れやしない」が重なった。ロストマンの「強く手を振って あの日の背中に サヨナラを告げる現在地 動き出すコンパス さあ行こうか ロストマン」も重ねられる。いのちの初夜はどう生きたらいいのか、死ぬことも含めて迷っている大人の男が生きていこうと思うまでの物語だったしな。ロストマンに出てくる「君」は、病人になる前の自分だと考えられるんじゃないだろうか。正しさを祈りながらこれからも生き続けてほしいと思った。どちらの曲もいのちの初夜の主題歌ということにしたいくらいしっくりきた。太陽とロストマンが描く方向に近しいものがあるとも言えるかもしれない。

 

『漫画讀本』傑作選 劇画よ、さらば! 帰ってきた'60年代の爆笑 文春文庫ビジュアル版 1989年
「漫画読本」傑作選 / 文芸春秋【編】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

これも少しずつ読んでいる。日本だけでなく海外の作品も含めいろいろな漫画やエッセイなどがまとめられた本。これに収録されている『マンモスと石と人間』(しとうきねお)を読んだ後の感覚が、「星の鳥」(orbital periodの絵本)を読んだときの感覚に近いような気がしていたせいか、いのちの初夜ユグドラシルの流れから思い出した。

マンモスと石と人間は、たくさんの人間が犠牲になりながら、遂にマンモスに勝ったときに使われた巨大な石の歴史と、既にその歴史が忘れられ、ただ石がある時代を描いた短編。歴史は忘れられつつも人が生まれては死に、いのちが繰り返されているあたりに藤原基央的な物語の語り方を感じた。尤も、この漫画のほうが何十年も昔ではあるけれど。物語のなかに必要以上に藤原基央を探してしまっているのかもしれない。

 

J-WAVEで2014〜2016年あたりにやっていたTHE HANGOUTの録画をちょこちょこ見ている。川田十夢のラジオはINNOVATION WORLDもときどきしか聞けていないけどもっと聞いたらもっと面白いんだろうな。録画が残っているのはとてもありがたい。

J-WAVEだと、ZOO ZOO ZOOを聞き返したいけど聞き返す手段がない。録音していたラジオも壊れちゃった。

2022年4月1日 嘘の面白さ

ウソのワークショップに参加した。面白法人カヤックが主催し、オモコロの山口むつおがゲストとして登壇していた。

山口さんの話のなかでは小説やゲームなどのフィクションを「バレない嘘」と呼んでいたのが印象だった。ときどき「フィクションってどうせ嘘じゃん」という言説を見かけるが、これらは嘘ではあるが没入できる「バレない嘘」なのだ。

【ウソのワークショップで面白かったところ】

・トラがちっちゃくなったのがハチ(藤田匠)

・裸で耳がロバの王様おったら…(山口むつお)

ウソの信憑性を上げよう(=バレにくいウソを作ろう)としていた面白法人カヤックの人たちに比べて、山口さんの嘘はバレていることが前提となっているような気がした。ウソであるからこそめちゃくちゃやっているのが面白い。めちゃくちゃなのに妙な納得感がある嘘の雑学の面白さは何だろう…

 

初めて好きになったバンドをもう好きではないことを後ろめたく思い続けている。もはや好きではないと自覚してから10年近く経っているというのに。好きだったのはたった2〜3年ほどだった。ずっと好きでいるつもりだったのに。ファンクラブにも入って、ラジオやブログを楽しみにした。クラスメイトは誰も知らないバンドだった。近所のお姉さんも同じバンドを好きだと教えてもらい、何度かライブにも行った。国際フォーラムとか横浜アリーナとか。繰り返し聞いたラジオはまだ頭に残っていて、たまに鳴る。初めて好きになったから、いろいろな初めてをそのバンドで経験した。初めて買ったCDはシングルもアルバムもそのバンドだった。

最新を追うことが、好きの意味であるとしたら、もう好きではない音楽がたくさんある。活動が終わってしまって最新を追えない音楽もいくつもある。そのとき好きだったことと、いま好きであるかどうかの見分けがつかない。いま初めて聴いたとしても好きにならないだろうな、と思いながら当時好きだった音楽を聴くのは少し寂しい。

 

愛のことば聴いているとセピア色みたいな情景が浮かぶなあと思っていたら、MVがそういう感じの色なんだった(過去に見たことがある)。自分のイメージにぴったりのMVだったのか、MVの印象を思い起こしていただけかわからなくなった。

youtu.be

 

2022年3月18-20日 知りたがる暴力 知らない暴力

【3月18日】寒かった。冷たい雨が降っているのに外に出ないといけない予定があったからつらかった。その日のうちに体調を崩して、寝たら治った。体調が悪い間、ほかの日の天候と見比べて運の悪さを呪うような気分になった。気象庁の人が3月16日にあった地震から、1週間程度は揺れに気をつけろと言っていたので、おびえながら過ごした。

 

【3月19日】前日がつらかったのでゆっくり過ごした。草野マサムネがラジオでよく言う「ロカビリー」がわからず調べたら、ジャンルのひとつらしい。ロックより前からあるというロックンロールの一部と考えたらいいのかなあ。

ジャンルのことがいつまで経ってもわからないから、自分の蓄積で何となく感覚的に分けている。メタルとかも複雑すぎて、ぜんぶまとめてメタルだと思うようにしたいけど、ハードロックとヘヴィーメタルの違いもあやふやでそれもうまくいかないから、かっこいい!とかテクニカルだな〜とか簡単な感想になる。ジャンルわかる人、どうやってわかるようになったのか教えてほしい。そういう人たちも割り切ってるのかな。ジャンルわからないままでも楽しいけど、わかると関心を広げやすくなるから少しだけでもわかりたい。Dale Hawkins のEarly Rockabilly Hits 聴いて、もともと知っていたSusie Q みたいなのがロカビリーだと思うようにした。ロックの初め頃と区別つけられる気がしない…

‎デイル・ホーキンズの"Susie-Q"をApple Musicで

 

【3月20日】3月20日になったのに、アンダーグラウンドすらまともに読めていない。ニュースで事件から27年と報道されていた。いまは戦争のこともあるし、そこまで大きく報道されていたわけではなかったけれど、恐らく何分かは割かれていたから27年経ってもそれだけ伝えて残そうとする事件だとわかった。

以前の日記にも書いたけれど、地下鉄サリン含むさまざまな事件について当時がどのような状況・反応だったのかを知りたいと思っている。アンダーグラウンド(読んだ部分)に書いてあったことと、今日見た数分のニュースから、現在もあちら側とこちら側をわける考え方がされているように見えた。事件はあちら側の人々が起こしたもので、それは(あなたのように/私のように)日常を過ごしているこちら側の人間にいつ訪れるかわからない悲劇なんですよと伝えているように見えた。再発防止というよりも、被害を受けることは他人事ではないのだと知らせるようなニュースだった。その態度こそ事件の犯人に対して他人事だと思っているのではないか。当時、このような事件があり得ないと思われていたのかどうかすらわかっていないけれど、あり得ないと思われていたのだとしても、「私たち(こちら側)」でひとまとめにしてると感じた。悲劇を繰り返さないことというよりも悲劇は突然やってくることを伝えていたのは、数分を効果的に使える手法なのかもしれない。ニュースの役目はそこにあるのかもしれない。

語ろうとしてくれる被害者がいるのはとてもありがたいけれど心配だ。トラウマを何度も掘り返していると記憶にこびりついて離れなくなってしまうのではないか。教えてほしいけど、苦しんでほしくない。本は一度書かれれば繰り返し話さなくていいけれど、手に取ってもらうまでのハードルがある(現に私は本を手に取りつつも読めていない)。伝えられた相手も苦しむかもしれない。この苦しみは必要なものだと言えるのか。引き受けなければいけない苦しみはどれだけあるんだろう。知りたがることの暴力性と、知らない故の暴力性のバランスの取り方がわからない。知らないことが多すぎる。

2022年3月13日 存在しないコジコジの単行本

ちびまる子ちゃんの単行本を第12巻(1994)だけ持っている。私の好きなコジコジが巻末の描き下ろしに出てくると聞いたので買った。この巻の発売当時、コジコジの単行本は出ていない(きみとぼくコミックスのCOJI-COJI①が出たのは1995年10月)。この描き下ろしに描かれているコジコジの単行本はまだ世に存在しない架空のものであるということだ。

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(『ちびまる子ちゃん【12】』p.161)

出版社のマークなどがないコジコジの単行本が6冊並べて描かれているのを見たときに、胸がいっぱいになって少しだけ涙が出た。さくらももこがもういないこの世界では、もう更新されないコジコジの既刊が3巻ある(出版社によっては4巻に分けられている)。さくらももこコジコジを6巻より多く出すつもりでいたんだろうか、少なくとも最初はそのつもりでいたんじゃないか、インタビューでは脚本を漫画に描きたいと言ってたな…と、存在したかもしれないコジコジの単行本を思って寂しかった。

でも今年はコジコジ万博があるんだ。原宿にはちびまる子ちゃんコジコジのグッズ屋さんもあるし。いまだってたくさんあるのはうれしい。これからだってある。たくさんのひとが好きだから続いていくんだと思うと見知らぬ人たちが愛おしくなる。その人たちと好きで居続けられるのもうれしい。