2021年9月29日 選択と行動

朝起きてすぐにある、手に力がうまく入らない状態が、目覚めてしばらく経つのに続いていることがある。そもそも朝起きてすぐの力の入らなさの話を他人としたことがないから、これが一般的なのかどうかすらよくわかっていない。この状態が続いていると、うまくペンが握れなかったり、指をすこし動かすのに億劫になったりする。酷いときはフリック入力すらうまくできなくなる。冷えてるのかな、今度なったら温めてみることにしよう。

ずっと焦るような気もちが続いている。大丈夫ではあるんだけど、うまく対処していかないといずれ大丈夫ではなくなるやつ。厄介だなあ。やめてほしい。そのまま動かなきゃいけない、となれば動けることがわかった。できた。うまくいってはいなかったかもしれないけど、動けた~!やればできるんだ。よかったなあ。

久しぶりに日比谷の図書館に行って、はじめて利用カードを作った。あの図書館はいいですよ。本を読むスペースが何種類もあって、どこで読むか迷うところからたのしい。たぶん前回が伊藤亜紗先生の講義だったはずだから、2019年11月以来…そりゃそうか…そのくらいは経っていて妥当だ。

2019年の夏くらいから行ってないところだらけだ。いろんな人がそうなっているんだろうけど、ちゃんと自分ごととして感じる部分。ライブハウスとか、夏はたくさん行きたくなっていたのに非日常に慣らそうとしていながらうまくいってる実感がないうちにたくさん削れてしまった。実体のある他者を目にして「生きている…人間だ…」と思うこととか、あってほしくなかった。人間には後頭部があるけど、見る頻度が減ったなあとか。ただオンラインで人と触れ合う場に慣れきってもいない。家のなかだとうまく集中できる確率が低い。作業用の机の上が散らかっていたら、片づけるか、床などで作業しないといけなくなる。外にでかけて、片づけなくてもいい机を手に入れられない環境はきつい。図書館とか空いている部屋の机たちのおかげでいろいろできていたんだなあ、と思う。きれいな自室を保つよりも、きれいを求めて彷徨うほうがうまくできる確率が高い。それも失敗する頻度は低くなかったのだけど。選択肢が限られた世界窮屈だなあと思う。

そんな一方で、食べるごはんが決められない。この世界にはたくさんの種類の食べ物が存在するから、そのなかから一つに絞るのは難しい。冷蔵庫との相談なら比較的容易にできるけど、それでも可能性の幅は狭くない。お米を食べるか、パンを食べるか…お米を何と一緒に食べるか。ごはんを食べる前には決めなければいけないことだらけだ。サブウェイの選択肢の幅に怒ってる人いたな、怒ってるんじゃなくて文句言っていただけだったかも。サブウェイまで決めたんだったら、あとはさっきより狭い選択肢のなかから選べばいいから、ちょっとはマシかもしれない。食事全体からこの1食を考えるほうが大変。人によってこの大変さの度合いも違うんだろうな。私はこうです。選択肢の幅をある程度減らしてからが本当に大変。昼休みのうちに済ませなきゃいけない時間切れも含めて昼ごはんは大変だ。1日3食食べるひと(たくさん)がお腹空いたり、ごはん食べたりする時間が重なってるの不便。混み合っているなら後にする、とか延期しづらい出来事なのがもっと厄介。お腹が空くタイミングがばらばらだと、昼休みいっしょに取れなくて不便だったりするだろうから、そういう事情が優先された結果 ここ(限定された周囲)はこんな様子になっているんだろう。

選択肢が多すぎても選べないし、1つしかないと替えが効かなくて大変なの、どっちも大丈夫になれたらいいのに。難しい。