2022年5月4日 火を見て燃え殻を見る

たきびをした。童謡で「たきび」とか「たき火」の表記に幼い頃から慣れ親しんだせいか「焚火」とか「焚き火」の表記に未だに違和感がある。

「焚」←この字って焚書坑儒の「焚」だなーと思っちゃって、怖いからあまり使いたくない。でも燃えている火の中に書を入れたら燃えて失くなってしまうんだ。少女終末旅行見たときも、チトが大事に残していた本(芥川龍之介の『河童』)をユーリがその大事さに気付かないまま燃やして暖を取ろうとするシーンにつらくなった。世界から失われる怖さを、あの作品内ではより強く感じた。

火には潔さと怖さを感じる。燃えて失くなる潔さのなかに心地よさがあるように感じることもあるけれど、常に怖さのほうが強くある。火は怖い。燃えて灰になっていく炭や木や草葉を見ながら、火には燃えて失くならせる力があるのだと実感する。自分の部屋が火事で燃えてしまうことへの恐怖も強い。紙でしか持っていないものは、燃えてしまったら自分の手元から消えてしまうし世界からそれが1つ消えてしまう。それがすごく怖い。間近で火を見ていたら、怖さを強く感じられてよかった。ときどき感じなければならない種類の恐怖だと思う。火の怖さが自分のなかに焼き付いた感覚があった。

火の怖さとは別に、火の眩しさも感じた。たきびは眩しくて、目に負担がかかる。何ヶ月も前に、家の中でロウソクを燃やしてみたときにも目が疲れてしまった。揺れる炎に癒されるやつってどうやったらできるんだろう…画面越しで見ると目への負荷は減るかもしれないけど、こちらに燃えうつる心配がないせいか、燃やしてる実感は得にくい。匂いもしないし。眩しさをあまり感じずに火への畏怖と心地よさを同時に感じられる手段があるといいな。恐らく自分は眩しさを感じやすいから、他の人たちはそんなことなく既に心地よさを感じているのかもしれない。他人の主観の話はわからない。

いま感じている乗り物酔いをしたみたいな気分の悪さは、恐らく火を見ていたからだと思う。揺れている眩しいものを見続けたらそらそうなる。もう画面見ながら文字打つのが少しキツいので終わりにします。